スウェーデンの男女平等社会
−教育との関連において−
はじめに
なぜ「スウェーデンは男女平等」なのだろうか。私はこの「男女平等」という概念に昔からこだわっていた。やはり男も女も同様に扱われ、数も半々になるべきだと考えていたのである。当然ながら、今はそう思っていない。しかし、昔の名残かいまだに不条理なものには過剰に反応してしまう。ゆえにスウェーデンの男女平等社会について知ったとき、私はただその男女平等ぶりに感動していた気がする。スウェーデンでは男女の割合が40〜60%になっているときに男女平等であるという。これは私の「男女平等」と一致していた。
ではスウェーデンの男女平等はどれくらい進んでいるのか。よく知られている事例としては、逆U字型の女性の年齢別労働人口などがあげられるだろう。制度面を見ていくと、1970年代の段階で既に経済単位の個人化と男性の育児休暇が制度化され、現在日本で審議されている別姓問題も1980年代に解決している。また、政治においても、1998年の選挙では、閣僚の過半数を女性が占める政権が誕生し、中央・地方どちらの議会でも女性議員の占有率は40%を超えている。
たしかにこの男女平等社会にも男女差別はある。日本と同様の問題を抱えている。しかし、注目すべき点はその程度である。政府の対応も迅速かつ積極的である。そして何より男女とも平等意識がかなり高い。
本稿では、男女平等社会はなぜ形成されたのか、実際の社会はどのようなものなのか、どのような分野に問題があるのか、それらの問題に国はどのように対処しているのか見ていく。
第1章 社会民主労働党と男女平等
社会民主労働党を中心に福祉国家の形成についてまとめた。
スウェーデンの社会では、同党主導の政治が一貫した態度で制度改革に取り組むことにより男女平等を促進している。その男女平等を促すきっかけとなったのは、今日の福祉国家の基礎を築いた1930年代から1960年代にかけての政治である。この時代の政治を、P.ハンソンの「国民の家」構想とT.エランデルの「妥協の政治」「赤−緑連合」を中心に紹介した。同党はH.ブランティングの「民主主義−平和主義−改良主義」路線のもと、合意形成優先型の政権運用をスウェーデンの政治手法として定着させ、強力な支持基盤であるLOと歩調を合わせながら、総合的な制度改革に取り組むことができた。
しかし同党の歴史や党政策をみると「福祉国家の建設=男女平等社会」ではなかったことがわかる。福祉国家化に着手したハンソンの時代は、まだ性別分業を基調としており、既婚女性の労働への支援は少なかった。エランデルの時代も同様に、福祉の充実に努めたが、女性の社会進出が増加する1960年代まで、社会保障、家族・労働関連の制度は家族単位で、明確に個人単位に移行するのは1971年の夫婦分離課税制度の導入による。
第2章 社会制度と女性環境の整備
労働と福祉の分野における社会制度を整理した。この女性環境とは、女性が仕事と家庭を両立できるような労働・福祉環境を示している。
労働環境は、男女が同じように働けるように整備され、労働者は法によって保護されていることがわかる。具体的な制度は、「短時間労働」、「長期有給休暇制度」、「雇用安定法」、「失業保険制度」、「教育休暇制度」、そして「男女雇用機会均等法」、「男女平等オンブズマン制度」などである。
福祉環境は1960年代以降、急速に整備され、女性の就労と男性の育児参加を促進するために、特に出産・育児に関して、手厚い保護がなされている。また介護に関しても、当事者の意思が尊重されており、できるだけ自立した生活が営めるよう工夫されている。具体的には、「両親保険制度(「出産・育児休暇制度」+「児童看護休暇制度」)」、保育所などの保育施設、「婚姻法」「同棲法」など婚姻に関する法律、「中絶法」や「多子加算型児童手当」など出産・育児に関するサービス、そして「ホームヘルプ制度」や「機能が満足でない人のための扶助とサービス法(LSS法)」などの介護制度があげられる。
第3章 社会の男女平等達成度
社会の男女平等達成度を政治、労働、家庭の3分野における「男女平等」の達成度からまとめた。
政治の分野はかなり高いレベルにある。1998年の選挙結果から、女性の政治進出度を見ると、内閣、委員会、国会、地方議会(県・コミューン)の男女比は40−60%を達成している。この近年の女性の増加は男女混合名簿の採用によるところが大きい。しかし選挙とは異なり民意が反映しにくい政策決定機関では依然として男性が優位である。
労働分野においては、たしかに男女格差はあるが、その格差は小さく年々縮小の傾向にある。労働における平等は社会の「男女平等」を実質化するために最も重要な要素である。ここでは、労働力人口や雇用形態、賃金、労働時間、管理職比率や労働組合の執行委員及び組合員から男女比を見た。
家庭の分野では、父親の両親保険制度の利用状況や、保育所の普及率、そして夫婦間の家事分担について述べた。男性の育児休暇取得率は約10%前後といまだ低いが、年々高まっている。保育所もかつては働く女性の増加に追いつかず、不足気味であったが、近年はほぼ満たされたという。夫婦間の家事分担に関しては、女性が男性よりも多く担い、その内容もいまだ伝統的な役割分業が見られる。しかし、男女の有償・無償の労働時間の合計はほぼ同じである。また男女とも家事を半々にすべきと考えている。
第4章 男女の学習選択と職業の偏り
教育と労働の2分野における男女の偏りが著しい。高校・大学の専攻と労働市場の性別職域分離の状況、そして政府の対応についてまとめた。
高校・大学では、女性は男性に比べ理系を選択する者が少ない。ここでは1991年の教育改革に触れながら、高校の選択コ−スと大学の専攻において男女の傾向を見た。男性は伝統的な選択をしているのに対し、女性の選択は多様化し各分野に進出していることがわかった。しかし男女の偏りはいまだ改善されていない。また教員数の偏りについてもふれた。
スウェーデンは国際的にも性別分離度が高い。この背景には伝統的な性役割論によって形成された市場構造と1960年代の公共部門の拡大がある。ここでは、産業/セクター別と職種別の男女の傾向と「水平的分離」について述べた。女性は公務員に多く、女性比率の高い福祉、保健・医療、教育といった産業に集中し、男性は私企業に多く、男性比率の高い製造業、運輸・通信業、建設業、金融・保険業などの産業に集中している。しかし、1970年代以降、女性が男性職場に参入してきたことにより、その集中は弱まっている。
第5章 男女平等社会の展望
1985年以降の2つの政府法案と1990年代半ばから導入された「メインストリーミング」という概念についてまとめた。
2つの政府法案のうち、前者ではあらゆる職場での「男女平等」、つまり男女が半々になるような施策が立てられ、後者では男女の偏りが著しい分野において対応が強化された。
「メインストリーミング」とは、政府全体にわたってあらゆる政策分野でジェンダー平等の視点を組み込むことで、スウェーデンでは「ジェンダー統合」と呼ばれている。そして、その手段として、男女別に処理を行う「ジェンダー統計」を公的に導入した。また地方レベルでは「3R手法」も開発された。この3Rとは「Resource(資源・資金)」「Representation(代表性)」「Relevant(実物教材)」という3つの視点である。
おわりに
日本の現状を考えてみると、男女平等社会の実現はとても遠いものに思えるが、男女平等先進国スウェーデンも、性別分業に基づく伝統的な家族を社会政策の基礎モデルとした時代が長く続いていた。そして現在のレベルに達するまで約30年かかっている。このことから着実に改革に取り組めば、日本も男女平等社会が実現できるのではと思う。
また、スウェーデンが男女平等社会へと歩み始めた1960年代、当時は参考とすべきモデルがなく、その作業は困難なものであっただろう。その点、日本は意識の面はともかく、制度的には男女平等に移行しており、多くの男女平等先進国の先例を学ぶことができる。かなり恵まれた環境にあるのではないだろうか。
スウェーデンは法的平等を実現し、国民の男女平等に対する意識も高く、それに対する行動も伴っている。しかし、その程度には大きな差があるが、日本と同様の問題が残っているのも事実である。国のイニシアティブで行われた権力調査の一環として、アルネとローマンはこれらの問題の一つである家事分担について、夫婦間の権力という視点から調査・研究を行った。その分析から現代の男女間には、男性も家事を負担するが、主な責任は女性にあるという「新ジェンダー契約」が為されていることを明らかにした。
ではスウェーデンで「男女平等」をより積極的に進めるためには何が必要なのだろうか。先ず考えられるのは、社会の諸制度を改革し、人々の意識を変えることだが、これは既に行われている。レングランド塚口は、ジェンダーの強調は「平等」視点から問題であり、本当に「何でも半分ずつ」関係を求めるなら、別の文化規範が必要となるだろうと考察している。
たしかに男女を集団として捉えるのならば、男女の一般的な傾向を見いだすことができる。しかし、個人で見た場合、その能力は人それぞれ異なっており、単に性別によるものではない。重要なのは男女にとらわれない発想と行動なのではないだろうか。
私の今後の課題としては、男女の偏りが著しい分野で、どのように男女半々を実現するか、また男女半々以外の考え方はないか探ることである。後者の理由には、この分野に積極的な対応を行われているにもかかわらず、いまだその偏りは解消されないでいるのには、何か必然性があるのではないか、また他に可能性はないのかと思うようになったからである。またその分野における数字の隔たりをどのように捉えるべきかについても考えていきたい。