服部志保・卒業研究要旨

売買春に見る男女の権力構造


(※一部を除いてほぼ全文を収録しましたが、本文中の註記は、煩雑になるためすべてはずしました。また、グラフ・表なども省略しています。[高橋])

第1章 はじめに
 私が、今回「売買春」というテーマを選んだきっかけは、従軍慰安婦の問題の存
在である。従軍慰安婦の問題を知ったのは、高校3年生の時であった。女性の意志
とは関係なく、女性の性を国がコントロールしていたという事実、売春という行為
を国が堂々と認め奨励していた事実に大変衝撃を受けた。そこには、男性至上主義
的な社会の構造がありありと感じられる。しかしよく見ると、太平洋戦争後50年
以上経った現在もその状況は変わっていないようにも思える。日本女性が自分の意
志により、「性」を商品化しているという現実もあるが、「売春」という行為が男
性至上主義的な社会に公然と認められているという事実に変わりはないのではない
だろうか。
 現在日本における風俗産業は10兆円産業と言われ、たえず多種多様なサービス
を考案、展開し拡大しているといわれる。今日、日本では「性」を商品化した物、
サービスがあちこちに氾濫し、スポーツ紙や男性向けの雑誌には女性ヌード写真が
堂々と載り、街では多くの売春斡旋の広告を目にする。単なる娯楽ととらえる人も
いるかもしれない。需要があるのだから供給するのは当たり前という人もいるかも
しれない。しかし、私たちがここで見過ごしてならないのは、こういったビジネス
が堂々と成り立つという社会のシステムである。
 近年、男性の「性」を商品化するビジネスも見うけられるが、今だ「性」の商品
化(売春)の担い手の大多数は女性である。売春は今に始まったことではない。戦
前よりはるかずっと前から行われてきたことである。時代の流れとともに、「売春」
の意味合いは変化してきたが、「売春」はいまだ存在し、むしろ発展している。
 私はこの研究の中で、売買春に対する是非を問うたり、売買春問題の解決策を探
ったりするのではなく、売買春が消失することなく存在し続ける理由を売買春の歴
史や現在の状況から探るとともに、そこに見えてくる男女の権力構造について新た
な視点で分析してみたい。
 ※2章以後扱う売春は、「女性」が自らの性を商品とするものを指す。

第2章  売買春の歴史
 売買春の歴史は古い。日本において女性の体を商品として扱い、「性的魅力」に
よるサービスという要素が女性労働において付加されたのは、産業構造が変化し第
3次産業が拡大し大衆社会状況が到来した1920年代以降である。また現在のよ
うな多種多様な性的サービスが発達したのは戦後である。しかし、売春の歴史は、
人類の歴史とともに始まったと言ってもよい。その長い歴史において、特徴となる
のが明治期から始まった公娼制度である。2章で扱う売春の歴史は、明治以後、つ
まり公娼制度以降の日本の売買春の歴史を中心に扱っていく。


1.前近代日本の売買春の歴史                 
(1)明治期公娼開制度の開始と特質
 近代日本の公娼制度は、1871年(明治4年)の民部省達からはじまる一連の
法令によって基礎付けされる。明治以後日本で開始された公娼制度は、江戸時代な
どに見られる前近代の公娼制度とは異質のものである。
 明治期に確立した近代日本の公娼制度は、前近代の公娼制度からの延長上と把握
され、特殊日本的な制度と認識されてきたが、実際は欧州の公娼制度をモデルとし
て再編されたものであった。確かに、近代日本の公娼制度には、吉原などの遊郭の
継続や公権力の遊郭庇護・娼妓の非人間的待遇など、前近代の制度に連続する要素
があることは事実であり、中央政府の政策によって「売春」が管理された状態にお
かれ、容認されたという点においては共通のものと言える。しかし、明治期に始ま
った近代日本公娼制度の本質は、女性を犠牲にした軍隊擁護にあることから、その
性格を異にしているといえる。
 近代公娼制度が、前近代の公娼制度と性格を異にしている特徴の1つは「強制性
病検診制度」である。性病の中でも恐ろしい病気の中の1つである梅毒は、室町時
代末期に初めて日本に伝わった伝染病である。その後間もなく全国に拡がったが、
江戸時代がわが国における梅毒流行の最盛期にあたっており、一般における梅毒罹
患率は、少なくとも都市住民の間では、数十パーセントという高率であったと推測
され、そのため民間では梅毒の治療が行われ、ある程度の効果を上げていたが、性
病予防については為政者は何ら積極的な対策はとらなかった、とされている。
 医学的な進歩の遅れもあるだろうが、梅毒が蔓延している中でも江戸幕府は、そ
の予防対策をとらなかった。しかし、明治期に入り、開国と同時に欧州からもたら
された強制性病検診制度は、明治新政府の担い手たちにとって、文明開化の一環と
して積極的に導入されていった。梅毒という恐ろしい病気の原因を娼妓である女性
側にのみ責任を認め、検梅制度は公娼制度の基礎として強制されていった。
 近代公娼制度のもう1つの特徴は、国際的な人身売買批判により人身売買を名目
上否定し、娼妓たちの「自由意志による売春」を国家が救貧のために許容している
という欺瞞的偽善的コンセプトである。
 1872年におきたマリア・ルーズ号事件により、日本国内において公然と娼妓
という奴隷の売買が行われ、奴隷同様に惨酷にして無慈悲な取り扱いを受けている
ことに対する批判が起きた。これに対して、明治新政府は国際的体面づくりとして、
急遽『娼妓解放令』(太政官布告第295号)を1872年10月に発し、人身売
買の禁止を明言したのである。また、娼妓たちの身代金の棒引の理由として司法省
達第22号を同年発した。だが、政府は人身売買を禁止し、娼妓たちを解放したが、
遊郭を禁止するつもりはなく、すべては対外的な一時のものでしかなかった(13)。
そしてその直後1873年に出された東京布令第145号内に定められた貸座敷渡
世規則・娼妓規則によって、人身売買は禁止するが自由意志の営業なら容認すると
いう名目が成立する。さらに90年代からの自由廃業運動を経て、1900年の坂
井フタ裁判では自由廃業の権利を認められ、内務省令第44号「娼妓取締規則」に
おいては、自由廃業の規定が明文化されたことによって自由意志による営業の容認
という名目が成立した。しかし名目的に廃業の自由があっても、他に借金返済や生
活の方途のない者は娼妓を続けるしかなかった。72年からの一連の法制度は、娼
婦たちが名目上解放され、自由に廃業できるように見える。だが娼妓たちは「生き
る」ために売春を続けるほかなかったわけである。「結局、彼女たちは路頭に迷っ
て苦しみ、売淫するものが続出し、遊郭は依然と続けられた。」自由意志による営
業という建前は、女性たちが廃業が自由であるにもかかわらず、自分たちの意志で
売春を続けているという幻想を作り出してしまったのである。

(2)公娼制度の確立と日清・日露戦争
 1872年からの法制度により名目上の解放と自由を手にした娼妓たちであるが、
あくまでも建前のためにそれ以後も同じ、もしくはそれ以下の生活を強いられた。
そんな中1873年5月に出された改定律令第267条の私娼取締条項において公娼
と私娼の区別がなされ、公権力の統制の下で行われる売春のみを合法とし、統制外
で行われる売春を犯罪とすることとなった。この条項において初めて、公娼という
概念が出てきた。このことにより国家は、管理外で行われる売春を非合法化し禁圧
することで女性の性の売買の権利を独占し、特権業者を通じて売買春から搾取する
ようになり、売春は国家によってさらに強い管理を受けるようになっていくのであ
る。しかし、売春を「賤業」ととらえ、その統制を地方官に任せる方法を採用して
いる欧州各国を見習い、また「賤業」に中央政府が関与していない外観をつくろう
ことができるとして、1876年に太政官布告第1号が出された。以後、売春の統
制・取締をする権限を東京府においては警視庁、各都府県においては警察が与えら
れた。これにより「性病検診・徴税を軸に公娼を統制・管理するとともに、私娼を
監視・摘発・弾圧の対象とする体制が確立」していった。
 「賤業」とされつつも税金はとられた。しかし、公娼関係の徴税はあたかも正規
の税金ではないかのような「賦金」という名で呼ばれ、その事実は隠蔽されていた。
しかしその賦金は1873年に始まる自由民権運動を弾圧するために用いられたり
と、地方財政の大きな柱であった。そのため遊郭が拡大し娼妓が増えればそれだけ
地方財政が豊かになるという仕組みの中で各地方庁は財政充実のために次々と遊郭
を新設していった。こうのようにして、さらに発展を続ける公娼制度であるが、1
894年の日清戦争、1904年の日露戦争という2つの大きな戦争によってさら
に確立していく。軍隊による売買春に関する需要が拡大、植民地でも遊郭が激増し
中国人や朝鮮人といったアジアの女性たちが日本公娼制度に組み込まれていった。
日本人娼婦である「からゆきさん」と呼ばれた女性たちも植民地での公娼制度に組
み込まれていった。また戦費調達のために国は増税を行い、国民をさらに貧困へと
導き、下層階級にいる女性たちをいっそう過酷に売春市場へと追い込んだ。さらに
この2つの戦争の過程で、軍隊を擁護するため、性病検査がより強化されていった。
「この際、娼婦は軍隊の矛盾のはけ口にされ性病を感染させられる被害者としてで
はなくて、兵力を減殺し経費を浪費させ国家的損害をもたらす性病の感染源として
憎悪されるのである。」
 娼婦たちがこのような状況におかれている中でも、矯風会・救世軍・郭清会をは
じめとする廃娼勢力は日本の侵略戦争を支持し、協力的であった。新しい植民地で
公娼制度が導入されていくことも、批判するよりむしろ協力を行っていった。これ
は、1880年代からはじまった廃娼運動の際にその理論の主体となった「醜業婦」
観があったからである。女性たちを「家婦」(良妻賢母)と「娼婦」(「汚れた女」)
に分断するこの考えは、当時の廃娼団体をも強くとらえていた。そのためこの期の
廃娼運動は、女性たちを真に解放するために行われたのではなく、汚れた女である
娼妓たちの存在に反対するものであった。そのため各廃娼団体は、日本がアジアに
侵略した際も「醜業婦」である娼婦の横行は、日本帝国の体面を汚すことであると
して、そのような醜業婦である娼妓には反対したが、公娼制度の導入によって彼女
たちの取締りを強化すること、また安定した植民地経営のために「無垢な女」(娼
妓ではない女)の渡航には協力的であった。

(3)大正期の公娼制度と廃娼運動
 明治期に始まった公娼制度は日清・日露戦争といった大きな戦争によって強化さ
れていった。女性は戦争という契機によりさらに男性の支配下におかれていく。ま
た、「女性の大部分は男性の支配のみならず地主制と資本主義の支配によって、搾
取されていたと言わねばならない。そのうえに身分差別の加重される被差別部落の
女性たちは、性・階級・身分による三重の鉄鎖で縛り付けられていたのである。」
女性たちがそのような状況におかれる中、大正デモクラシー期には、19世紀的な
性倫理に対する反抗がおこり公娼制度を動揺させていく。公娼制度に対する本質的
抵抗や組織的抵抗が起こるのである。1911年に創刊された『青鞜』では、タブ
ーを破った女性たちが新たな視点で廃娼論争を行い、従来の廃娼運動にはなかった
娼婦への連帯感の表明や矯風会の「醜業婦」観への批判が登場した。中でも公娼制
度への本質的抵抗は、第一次世界大戦後におきたものである。この抵抗は、娼婦を
強制化されられる階級からおこったものである。1923年に大阪で、被差別部落
の女性たちによって婦人水平社が設立されたのを皮切りに、各地で婦人水平社が結
成され、水平運動がスタートした。賎視・差別視の標的として生きてきた彼女たち
の議論は、自分自身も娼婦として生きなくてはいけないかもしれない、そのような
苦境においこまれるかもしれない、という視点から娼婦をとらえたものであった。
そのような女性たちからおこった公娼制度批判や廃娼運動への批判は、「その当事
者性と社会経済組織の変革の志向性のために『青鞜』誌などに展開した廃娼論争」
とは、質を異にしている。
 また、第一次世界大戦後、産業構造の変容から、性風俗産業外の女性労働でも
「性的魅力」によるサービスという新要素が付加され、「接客婦」が登場、性風俗
産業も多様化し近代化されていく。資本主義が発展し、女性が性的魅力を商品化さ
せられていく中で、女性からの搾取は拡大していった。しかし、搾取を受けている
当事者である女性から待遇改善などを求めて、組織的な闘争がおこってくるのであ
る。明治期に見られた個別的な闘争ではなく、女性労働者自身が主体的にそしてよ
り組織的に闘うようになったのである。団結して闘った結果、公権力に鎮圧されて
しまったものもあったが、勝利をおさめ、有利な条件が生まれたところもあった。
 しかしながら、当事者でない人々が「接客婦」の立場に立つことは難しく、大正
デモクラシー期の廃娼運動も明治期の廃娼運動と基本的に変化はなかったのである。
むしろ『青鞜』誌上に、従来の廃娼運動にはなかった視点や「醜業婦」観への批判
をよせていた「新しい女」たちが、既存の廃娼団体に歩みよるという形で、娼妓・
女性解放からはより遠ざかるのであった。「新しい女」たちが中心となった市民的
女性運動は、1910年代に欧米から輸入された、遺伝学・優生学を内的理論とし
て既存の廃娼団体と連携・イデオロギー的融合をしていった。

2.15年戦争期の売買春の歴史
(1) 15年戦争期と公娼制度
 大正期には売春社会が繁栄を続け、芸妓と私娼が氾濫しその数は公娼の2倍以上
に達していた。大正末期である1925年12月現在の日本全国の売春婦は17万
8197人を示し、そのほか売春類似行為者を含めると、27万5697人と推計
している。さらに昭和初期には、東北の農村地帯を中心に飢饉がおこり、娘を売春
業者へ売って生計を立てようと「娘売り」が相次ぎ、農村地の女性を売春社会へと
進ませた。貧困から娼妓の道を歩まされる女性が増加する一方、第1次世界大戦後、
イデオロギーの融合をはかった廃娼団体と市民女性運動は、「廃娼連盟」を組織し
廃娼運動を積極的に展開、1935年までに14県の廃娼県をつくりだした。しか
し、そこにあったのは相変わらず娼妓=醜業婦という認識であった。この認識は1
5年戦争期も変わらず存在した。
 15年戦争期、日本は「慰安所」という名の軍隊専用の遊郭を軍拠点周辺に濫設
していった。日清・日露戦争期と同様に、買春の防止ではなく、売春を統制するこ
とで兵士への性病感染を予防するためであった。そこで働かされた「慰安婦」たち
は娼妓と同一視され、醜業婦ととらえられた。そのため廃娼団体は、「慰安婦」を
「憎悪しこそすれ日本軍を批判する方向」には進まなかったのである。それより、
戦地での慰安婦政策が発展していく1930年代は、国内の「廃娼」がいよいよ現
実のものとなりつつあるようにさえいえていたのである。廃娼勢力にとって、各県
での廃娼の実現など、名目上「公娼」がいなくなることで廃娼運動のその目的を達
したかのようにみえた。そのため、廃娼後の施策を展望する段階にきたと考えるよ
うになっていき、「廃娼連盟」から「国民純潔同盟」と改称し、「純潔報国」運動
を開始し、国民総動員体制に積極的に参加していくようになった。廃娼勢力にとっ
て「日本軍慰安所」制度は、「長年、公娼制度のもとでつちかわれてきたノウハウ
が100パーセント活用」されており、日本公娼制度の延長上にあるとは認識され
ておらず、慰安婦政策に対して批判せず沈黙を守った。たとえ、日本公娼制度の延
長上に存在すると認識しても廃娼勢力の特に女性たちが慰安婦政策に批判を加えず、
さらには国家総動員体制に参加していったのは、多くの慰安婦たちが植民地の女性
であったことで、慰安婦(娼婦)=「汚れた女」、家婦=「良妻賢母」という二分
化に加えて、植民地下の女性=「汚れた女」、日本女性=「良妻賢母」という二分
化による二重の分断が行われていたからである。

(2)「慰安婦」政策
 15年戦争期に積極的に展開していった「慰安婦」政策であるが、その起源は日
清・日露戦争であるといえる。「慰安所」と呼ばれる軍専用の遊郭が軍主導で初め
てつくられたのは、第1次上海事変がおきた1932年と言われている。慰安所が
設置された理由の1つは、日本軍人が占領地住民に対し強姦などの不法な行為を行
い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要があったことである。また
もう1つの理由は、性病などの病気による兵力低下を防ぐ必要があったことである。
1937年2月の南京大虐殺の際、日本軍による大規模強姦が起きた後、「慰安婦」
政策が大々的に導入され、展開された。しかし慰安婦政策後も強姦はなくならなか
ったのである。この慰安所だが、日本のほか占領各地に設置された。これら慰安所
に投入された女性の総数は定かではないが20万人とも言われる。数の上では日本
人が最も少なく、その8〜9割は17歳〜20歳の朝鮮女性と言われる。朝鮮女性
が極めて多いのは、道徳律のきびしい朝鮮の未婚女性には性病の心配がなかったか
らである。旧軍隊では、これらの「慰安婦」女性のことを娼婦とか売春婦とかいう
ふうには呼ばなかった。なぜなら軍隊の考え方では、慰安婦は一般の娼婦とはちが
うのである。慰安婦という表現には、国のために戦っている兵隊を慰安する使命を
もった女という意味があったのである。これら「特別な使命」をもった慰安婦たち
は、はじめのうちは長崎など北九州から募集してきた玄人であった。彼女たちの多
くは前借金のために身動きができないようにさせられていたため、お国のために働
け、借金も返せると喜んで戦地へ向かった。しかし、慰安婦政策が拡大し、玄人の
みでは慰安婦の数が足りなくなってくると、手段を選ばないものも出現した。甘い
言葉でだまして連行するケースも出てきた。朝鮮でも「女工募集」という名目でだ
まされ慰安所に送りこまれたり、暴力的に連行されたりすることもあった。これら
慰安婦募集を含め、慰安所の経営及び管理について今なお議論が続いているが、多
くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては旧日本軍が直接慰安所
を経営していたケースもあった。しかし、民間業者が経営していた場合においても、
旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所規定を
作成したりと軍が慰安所の管理や経営に直接関与したといえる。民間業者はあくま
でも従的立場にあった。軍による管理・統制下で慰安婦たちは、過酷な労働のうえ
に、強制的な性病検査や外出の規制など不自由な生活をおくった。慰安婦は、苦し
い生活を強いられただけではなく、「軍機の秘密」の漏えいを防ぐという目的で戦
地に置き去りにされたり、爆死させられたり、輸送途中で爆撃にあったりと悲惨な
最期を遂げたものも多かった。しかし、中には兵士との間に心情的な交流が生まれ、
その兵士と逃亡するものもいた。またお気に入りの兵士が戦死し、喪に服し、1ヶ
月も客を取らなかったものもいた。
 このような例外もあったが、軍による管理・統制といった慰安婦政策は日本公娼
制度の延長上にあったといえるだろう。

3.現代日本の売買春の歴史
(1) 戦後の公娼制度
 15年戦争期、国内外で「慰安婦」政策という特殊な形をとった日本公娼制度
(当然、名目上は公娼制度ではないが)は、1945年8月15日にポツダム宣言
を受け入れ、敗戦した後に新たな形に変化する。アメリカ占領軍の日本進駐開始に
伴い、占領軍向けの「慰安施設」をつくり出すのである。日本政府は、1945年
8月18日占領軍用に性的慰安施設の準備、その営業に関する命令を全国に出し、
8月23日にはRAA(特殊慰安施設協会)を結成させ、1億円の予算も投入した。
この「特殊慰安施設」働く女性は、「新日本女性」に告ぐという呼びかけによって
募集され、戦後生きていくことで精一杯だった多くの女性たちがRAAを多数吸引
した。RAAでも、性病検診は強制された。性病検診は週1回、「慰安婦」だけで
なく、ダンサーやビヤホールのウェイトレスから事務員にいたるまでRAAの全女
性に対して実施された。そこには、性病感染の原因・責任を女性にのみおしつけ、
買春をする男性側の責任は不問にする明治期からの認識があった。
 しかし、性病の蔓延によりGHQにより1946年1月21日に公娼廃止に関す
る覚書が出され、3月にはRAA所属の慰安所へ将兵が立入ることを禁止する命令
が出され、RAAは閉鎖された。しかしこの公娼制度の廃止も名目的であり、「個
人の自由意志による営業であるとの名目でいくらでも管理売春を続けることが可能
であった」。またRAAの廃止により多くの女性たちが失業し、生きるために、街
娼やパンパンを呼ばれる売春婦に姿をかえていった。その後も性病蔓延は続き、軍
事力・権力によってこれらの売春婦たちに強制的な検診が続けられた。これもまた、
占領軍の買春する将兵を性病から守るという考えに基づくものであった。公権力に
よる強制的な性病検診が行われた中、戦前から廃娼運動を展開してきた女性団体は、
事態を日本人女性による占領軍の誘惑ととらえ、それを憂い、逆に取締りの強化を
求めた。当然、占領軍や警察に対する批判などなかった。彼女たちには、娼婦化を
強いられる女性たちの社会的立場に対する視点はなく、米兵に身を売る愚かな女た
ちを日本人の責任として、「売春禁止法」の制定に向けて尽力していくのであった。
彼女たちが法制定で期待したのは、そのような愚かな女たちの教化であった。

(2) 赤線と売春防止法
 1946年1月にGHQより公娼廃止に関する覚書が出され、同年2月に政府が
娼妓取締規則を廃止したことによって、名目的に公娼制度は廃止された。が、同年
11月に「特殊飲食店街」(通称 赤線)という名称で、指定地域に集娼し、営業
することを認可したことによって、公娼制度が事実上蘇った。
 戦後、国民生活の極度の圧迫のなかで、赤線で働くより生きるすべのない女性た
ちが、性産業に供給され売春ブームがおきた。しかし戦前から廃娼運動を続けてき
た女性団体は「売春禁止法」制定を求め活動を続けた。1951年には「公娼制度
復活反対協議会」を結成、同年5月にはポツダム政令の勅令9号を国内法にさせ、
同年12月には「売春禁止法制定促進委員会」へと発展した。これらの活動は、赤
線で働く女性たちの意見をまったく無視して行われた。この委員会の活発な運動と、
女性議員の活動により1956年、赤線で働く女性たちを一方的に失業・犯罪者化
する「売春防止法」が制定され、58年には全面実施された。これに対して赤線で
働く女性たちは、組合などを結成し、組織的に対抗しようとした。赤線では戦前ほ
どの前借金や拘束は既になく、貯金をして新生活に備えることもできた。しかし抵
抗の甲斐なく、売春防止法の制定によって組織は解体されたしまった。
 この売春防止法だが、売春の定義を他人に働きかける、誘うなど行為のみ問題に
され、また罰の対象が「売る」側の女性だけで、「買う」側の男性は被害者として
扱われているのである。この内容からしても、売買春の問題が女性の責任としての
みとらえられ、女性たちを娼婦化させている経済・社会システムは見過ごされてい
ることがわかる。そのため、売春防止法制定後、売春婦たちをいっそう過酷な状況
に追いやる結果となるのである。

(3) 売春防止法制定後と現在
 1956年に制定された売春防止法はザル法にすぎず、性風俗産業をさらに発展
させた。法の目をくぐり、性風俗の最先端にいた仕掛け人たちは新しい形態のサー
ビスを考案していった。現在、多種多様な性風俗サービスが繁栄している源流はこ
こにあるといえるだろう。
 売春防止法が制定された後、赤線業者は個室付浴場(トルコ風呂、のちのソープ
ランド)経営者となっていく者が多かった。個室付浴場とは、浴室のついた個室で
女性がマッサージなどのサービスをするというものであり、法律的には公衆浴場の
1つとされた。はじめは、お風呂からあがってきた客をマッサージするだけのもの
であったが、徐々に発展、変化していき、「ホンバン」と呼ばれる性交渉を伴うサ
ービスまでエスカレートしていった。個室付浴場の発展にともない、世論から厳し
い非難を浴びていた政府も法律の改正を行わざるをえなくなり、1966年に風俗
営業等取締法を一部改正し、個室付浴場の建つ場所を制限し、その営業を認めたの
である。個室の中で何が行われているか、想像がつくにもかかわらず、暗にその営
業を認めたこの法律のおかげで、その営業はむしろ保証されることとなり、個室付
浴場の数は増加していった。その後さらに新しい形の売買春が生まれ、発展した。
売買春は、法律上違法行為である。しかし現在日本では、裏風俗と呼ばれる非合法
的な性風俗も栄え、海外に買春ツアーにいく男性も見受けられる。長年、売買春の
問題は売る側の女性のみ問題視されてきたが、近年、買う側の男性にも焦点があて
られるようになってきた。明治期から戦後間もなくまで廃娼を唱えた廃娼団体にか
わって、現在では多くのフェミニストたちが「売春」という行為が性的搾取だとし
てその行為に反対している。中には「売春」をセックスワークとして評価するもの
もいる。このように「売春」対する見解も多様になってきている。しかしその中で
注目すべきは、「援助交際」と呼ばれる女子中高生など素人女性の間に広がる売春
である。彼女たちの「売春」に対する意識は従来の「売春」に対してされてきた認
識と同類のものではない。「売春」という行為は長い歴史の中で「貧困」という問
題と密接に関係してきた。しかし豊かになった日本社会でのこのような現象は、現
代社会のシステムや文化経済というものを根底から考え直さなくてはいけないとい
うことをはらんでいるのではないだろうか。

4.まとめ
 売買春の歴史は、名目的な売春禁止と売春公認(公娼制度)の繰り返しであった
といえるだろう。さまざまなレトリックにより売買春ということは隠蔽されたが、
実質存在し続けた。第2次世界大戦直後までは「貧困」という経済要因がその大き
な原因であるが、売買春が存在し続けることができた1つの理由は、「買春」をす
る男性が支配する社会システムがあったからだろう。名目上売春を廃止させつつも、
実質的売春は黙認したり、無理やり慰安婦にさせたりと、女性はその男性至上主義
的な社会(家父長制社会)の犠牲者であったことは確かであろう。しかしその男性
至上主義的社会システムだけでなく、上層階級の女性が下層階級の女性に対して支
配的なイデオロギーを持っていたということも売買春が存在し続けた大きな理由の
1つであると言えるだろう。明治・大正・昭和初期に見られた廃娼運動は、その女
性たちのイデオロギーの押し付けでしかなかったのかもしれない。女性たちは、常
に自分たちより下の者をつくりだし、自分の地位を高めていたようにも見える。娼
婦=醜業婦とした認識もそのひとつではないだろうか。ヒエラルキーの下層にいる
女性たちは、男性権力からの支配と同性である女性の上層階級からの支配という二
重の権力下に置かれていたことが、売買春という長い歴史の中からみえてくるので
ある。だが、注意しなくてはいけないことがある。それは「売春」ということの中
で権力下に置かれていた女性たちが、いつも権力に対して服従的であったというわ
けではないということである。その意味では、大正デモクラシー期に婦人水平社が
とった行動・思想や赤線で働いていた女性たちの組織的反抗は大変意義深いものと
いえるだろう。豊かになった現代において、「売春」の意味合いがかわってきたこ
とも女性がただ男性至上主義的な社会で、権力に対してただ受動的に生きているわ
けでないということの現れかもしれない。
 女性が最も一方的に権力の支配下におかれたと思われる戦争期の慰安婦政策はど
うであっただろう。慰安婦問題に関する多くの文献は、戦争という非常事態の中で
女性が性奴隷化させられ、搾取されたとしているが、内部の個々の事情はどうだっ
たのだろうか。戦争体験者の中には、「慰安婦は比較的楽天的であった。そうでな
ければ生きられない」と言う者もいる。私は決して慰安婦政策を肯定しているわけ
ではない。ただ慰安婦政策を大きな枠でとらえれば、確かに女性が最も権力に支配
され、搾取され、過酷な仕打ちをうけたものだったいうことは事実であろうが、内
部にある1つ1つの事象は、大きな枠によって埋もれ、見えにくくなっていること
も事実であるということである。
 「売買春」ということは常に男性の権力だけが、上から下に一方的に働いている
のではないということも見過ごしてはいけないと思うのである。

第3章 法令と売買春
 近年、性風俗産業に従事する「セックスワーカー」を労働者ととらえ、その性的
サービスはサービス労働のひとつとして合法化されるべきであるという主張や労働
者としての権利を認めよという主張がされている。また、現在日本では、売買春は
表向き「違法」となっているが、性風俗産業の現状を見れば一目瞭然だが、売買春
は事実上野放しとなっている。こういった公然の秘め事を法で規制するかしないか、
取締りを強化すべきかということも、未だ解決の糸口が見つけられることなく議論
されている。
 売春に関する法令は、過去にも多くつくられ、実施された。しかし第2章の売買
春の歴史で登場した、「売春」(公娼)を廃止するための法令や規制するための法
令を見てもそうだが、あまり実質的な効果をもたらさなかったのではないだろうか。
第3章では、そういった売買春をめぐる法令に焦点をあててみたいと思う。

1.過去の法令と売買春 
 売買春の歴史に登場した数々の法令は実質的な意味をなさなかったといえるだろ
う。しかし、バーン・ブーローが『売春の社会史』で述べているように、法令は売
春を抑える効果をあげたためしはないが、売春の形態や規模を変える役には立って
いたのではないだろうか。役に立つといっても、決して良い意味での影響ではない
ことが多い。
 1872年に制定された「娼妓解放令」を見ても、日本の国際的体面を保つだけ
の名目的な法にすぎなかったが、東京では「むしろ吉原、根津権現の従来の遊里を
繁昌せしめて公然、遊楽の地を開き、密売厳禁の令を下したらんにしかず」と書い
た言論紙が現れたように人身売買をさらに促進させた。また1900年の「娼妓取
締規則」についても、結局売春はなくならなかったが、「売春」が女性たちによる
自由意志によるものだという幻想をつくりださせた。国際的な体面を保つためだけ
という意味では、1925年に「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」を留
保つきで批准したこともである。人身売買がなくなるどころか、植民地に対する適
用をはずし、慰安婦をつくりだした。
 売春に関する法令が実質的に機能しないという状況は、なにも日本に限ったこと
ではない。フランスにおいても世界の主要国家に遅れること11年、1960年に
成人女性の人身売買の禁圧に関する協定に批准し、フランスの主権の及ぶ全地域に
適用されることになっているが、アルジェリアには適用しないのであった。その結
果アルジェリアには、何百人という未成年の売春婦が人身売買によって連れ込まれ
ることとなった。アメリカにおいても同様である。1907年に外国人売春婦の関
する法律を修正して、「売春により生計を立てている」者すべてを排除する法案を
作成し、10年に可決、外国人売春婦に対する排斥規定が厳格化し、1910年に
成立したマン法によってあらゆる性的行動が罪に問われるような状況が登場した後
は、公共の場に売買春が消失したが水面下でおこなわれるようになり、形態を変え
ただけで売春そのものはなくならなかった。
 売春に関する法令が及ぼした影響は大きいだろう、しかしその法令自体の効力は
あまり発揮されず、その形式的表面的実施にとどまるだけで、丹に売春の形態や規
模を変えただけといえる。

2.現行法令と売買春
(1) 売春防止法
 売春防止法は1956年に制定され、58年に全面実施、現在においてもその法
的効力を有する法律である。売春防止法の特色は、売春「防止」法であって、「禁
止」法でないことである。売春防止法では、「売春行為それ自体に反社会性を認め、
これを禁止することを宣明するにとどめ、刑事処分の対象とはしないこととし、将
来の検討課題として持ち越されたのである。」よって、売春防止法の意義は、売春
行為それ自体が処罰されるのではなく、売春を「助長する行為」を処罰することで、
売春の防止を図ることにあるとされている。売春行為自体は処罰されないというこ
とになっているが、売春防止法第3条において、売春は法律上違法な行為であるこ
とを明らかにしている。売春が、違法であるか否か、またその根拠は法律学的にさ
まざまな解釈があるが、第1条で売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会
の善良な風俗をみだすものと定義していることに、違法性の根拠を求めていること
は明らかである。
 このように、売春防止法によって違法性を認められている「売春」だが実際は、
暗黙の了解のうちに社会で公然と行われている。これは、違法と認めつつも単純売
春が処罰の対象にならないことが大きな原因だと考えられる。また、売春防止法
第1条で「売春」が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみ
だすものであるとされていることから明白であるように、「買春」に対する視点は
欠けている。さらに、第1条では「性行又は環境に照らして売春を行うおそれのあ
る女子に対する補導処分及び保護更正の措置を講ずることによって、売春の防止を
図ることを目的とする」となっており、売春防止の処罰の主たる対象者は「女性」
とされているのである。明治期からの売春婦に対する「醜業婦」観は、憎むべき社
会悪という視線から、保護し更正させるべき対象として憐れむ視線を含んだと言っ
てもよいだろう。この売春防止法制定にあたっては、その当事者である売春婦たち
の意見を無視し、中・上流階級の女性たちがつくりだしたものであることは、第2
章で述べた通りである。状況を無視してつくられたこの法律もまた名目的であり、
昭和55年からの実際の検挙率をみてもわかるが、「個室付浴場」ほか、「個室マ
ッサージ」など法規制の対象が全国で広がりをみせているにもかかわらず、管理売
春の検挙率が低く、売春が実質行われ、それが黙認されていることを示している。
前出した「個室マッサージ」など、多くの新しい形態の性サービスは、売春防止法
が制定された後にうまれてきた。つまり売春防止法は、売春を防止するという本来
の目的とは逆に、その法を掻い潜り、新しい性サービスを考案させ、売春をつくり
出させる状態をつくってしまったのである。売春防止法が、「ザル法」と言われて
しまうのも仕方がない。
 戦後、先進的な女性たちが尽力して制定にいたったこの売春防止法もまた名目的
で、売春を抑えることには何ら効力をしめさず、売春婦たちにより過酷な状態を引
き起こしたばかりか、性サービスの多様化を招き、売春の形態や規模を変えさせる
役に、立ってしまったといえる。

(2) 風俗営業等取締法
 戦前においては、広く風俗に関する営業の取締りは、警視庁令および府県令によ
って行われていたが、終戦後これらは失効し、1948年(昭和23年)に風俗営
業等取締法(当初の名称は「等」がなかった)が制定された。また、新しい警察法
は、従来広範囲にわたって行使されていた権限を、警察本来の責務の範囲に限定し
ようとするに基づき、従来警察の取締りの下にあった風俗関係の営業は、原則とし
て「食品衛生法」、「旅館業法」、「公衆浴場法」等により、衛生上の見地から規
制を受けることとなった。しかし、終戦後の混乱・急変により、社会の道徳観・風
紀が乱れ、その乱れは社会生活を害し、悪質な犯罪の温床となるという認識から、
衛生上の取締りとは別に、善良の風俗の保持という観点からも規制を行う必要があ
るとされ、風俗営業等取締法(以下 風営法)が制定された。
 当初は、風営法には、売春が行われる可能性が極めて高い「個室付浴場」(現在
のソープランド)の営業に対する規制はなかった。しかし、営業の拡大化、婦人団
体等からの批判などにより1966年(昭和41年)に「風俗営業等取締法の一部
を改正する法律」によって対処することになった。ここで注意しなくてはいけない
ことは、取締りの対象にはなったが風営法で定める善良な風俗を害すおそれのある
「風俗営業」の対象ではないということである。「風俗営業」の対象でない、個室
付浴場の営業は、公衆浴場法による営業許可は別として、「風俗営業」と違い、風
営法に基づく都道府県公安委員会の許可を受けなくても営むことができたのである。
つまり、風営法による営業許可は必要なかった(86)。その取締りの対象としなが
らも営業許可は必要がないため、逆に売春業(性風俗産業)を公認した形となり、
その営業を保証することになってしまった。1966年に風営法の取締り対象にな
りながらも、個室付浴場他、性風俗産業が伸びていく理由がここにある。だが、性
風俗産業の蔓延により1984年(昭和59年)に風営法は改正され、「風俗営業
等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(以下 風営適正化法)となり、個室
付浴場その他個室マッサージなどの営業は「風俗関連営業」と定義されの対象営業
とされた。これによって、営業に関する届け出が必要となった。また、客引きの禁
止や広告、宣伝の規制および営業時間の規制など大幅に強化された。1985年
(昭和60年)に風営適正化法が施行された翌年の『警察白書』によると、風営適
正化法の結果「歩道を歩く市民に迷惑を及ぼしていた客引きが減少したほか、街頭
にあふれていた卑わいな看板等が姿を消すなど、風俗環境の浄化が推進された」と
あるが、これは一時的で表面的なものにすぎず、性交渉をともなうサービス(売春)
自体は減っているとは考えにくい。
 近年、風俗関連営業の営業所数は減少傾向にある。これは、長引く不況が原因で
あり、売春が減ったためではない。むしろ、携帯電話・パソコンの急速な普及に伴
って、インターネット上での売春斡旋、その他性風俗に関する情報の氾濫など無店
舗型の営業が増加した。このような性風俗に関する秩序が大きく乱れたことをうけ
て、性風俗特殊営業に対する規制の強化等風営適正化法の改正が行われ、「改正風
営適正化法」として、1998年(平成10年)に公布、1999年(平成11年)
に全面的に施行された。しかし、性風俗産業への取締りは強化されたが、性風俗産
業が禁止されたわけではないのである。つまり、法内であれば売春を伴うサービス
が依然として、認められているというわけである。また、裏風俗と呼ばれるアンダ
ーグランドで営業されている(当然違法)性風俗が発展した。例としては、「デリ
ヘル」(デリバリーヘルスの略)と呼ばれる性風俗である。これは女性が出張とい
う形で売春を行うというサービスである。このデリヘルは1999年の改正風営適
正化法が施行されたのをきっかけに突如として出現、普及した。この普及したデリ
ヘルの原型は、「ホテトル」(ホテル・トルコ)と呼ばれ、ホテルへの出張型性サ
ービスであった。デリヘルの店の多くが改正風営適正化法施行前は、ホテトルを名
乗っていたという。このことを考えると法の目を掻い潜り、名を変えただけという
ことである。
 風俗営業等取締法も、改正をくりかえし、その時代の性風俗産業に合わせてその
内容を変化・発展させ、性風俗産業への取締りを強化させてきた。しかし、売春防
止法ほど名目的ではないにしろ、その効力は表面的で、売春の形態をさらに複雑化
し、「売春」という行為をアンダーグラウンドへとおいやっているように見える。

3.まとめ
 日本国憲法第41条で、国会が国の唯一の立法機関であり、国権の最高機関であ
ると定められている通り、「法」というものは、形となってあらわれた最高権力で
あると言える。しかし、売買春に関する法律はその効力を発してきたとは言い難い。
さらに、売買春に関する法は、歴史的に見ても、「売る」女性側にばかり責任を帰
させるもので、「買う」男性には責任を帰さないものであったと言えるだろう。そ
れらをつくった担い手たちの多くが男性であったということも大きいだろうが、売
春防止法に見られるように女性が法を積極的につくった場面もあった。それでもな
お、女性に責任を帰させるような法であったのは、それらの法が、なぜ売春が行わ
れるか、その根本を見ずして作られた法であったためである。そのため、過去にお
ける法はどれも名目的で、その法の意図とは逆に売買春業を発展させるに至ったも
のが多かった。法が、権力が明文化された形であり、その効力を有するかのように
見えて、結局、効力を発し得なかったのは、制定に携わるのも行使するのも人間で
あったからである。「法」という形となって現れた権力は、人間同士の中で現れる
権力の形よりも一方的であり、売春に携わる女性たちをむしろ生きにくくさせてき
たのではないだろうか。
 近年、日本では売春を合法化させるかどうかという議論がおこっている。また、
蔓延している援助交際に対しても「青少年育成保護条例」の中に淫行条例を設けて、
その対策にあたっている。だが、果たしてその効力はあるのだろうか。法をつくっ
たからといって、売買春自体が減るというものではなく、バーン・ブーローが言う
とおり、売買春を抑制することには何ら役には立たず、売春の形態や規模を変える
ことには役だったことは、売買春の歴史を見れば一目瞭然である。
 売買春の問題だけではなく、法というものをつくる前に、なぜそのことが起きる
かということを考えなくてはいけないのではないだろうか。そうしない限り、いつ
までたっても法は名目的にすぎない権力となってしまうだろう。


第4章 意識と現実
 「性」を商品化したものがひしめく現代日本で、その当事者である「性」を商品
として売る側である女性や、買う側である男性はどのような考えを持っているのだ
ろうか。フェミニストたちや世論から、さまざまな評価を得ている「性」の商品化
であるが、外側からの批評とのギャップもあるはずである。実際に商品として「性」
を売っている女性や、実際に買ったことのある男性の話や状況をさぐることで、そ
の実態や現実をさぐってみたい。なお、ここで扱う「売買春」は、性交渉を伴うだ
けの狭義の意味の売買春ではなく、女性が性を商品として売る全般を含めた広義の
意味での売買春である。

1.現在の性風俗産業の状況
 性風俗産業は、不況を知らない産業といわれている。日本では10兆円産業とい
われているが、はたして現状はどうであろうか。
 第3章で見た通り、性風俗関連の営業所自体は減少傾向にある。ソープランド(個
室付浴場)に関していえば、東京吉原では、以前は190軒からあった店が、いま
や150軒をきるまでになっている。大阪にいたっては、かつては80軒弱あった
ものがいまではゼロだという。あるソープランドでは、リストラも行われたという。
不況を知らないといわれる性風俗産業界であるが、その現状はどうも違うようであ
る。そうはいいつつも、男性誌やスポーツ紙などでは数多くの広告を目にすること
ができる。また、「風俗情報誌」など性風俗のお店やそこで働く女性を中心に扱っ
た雑誌も書店やコンビニで簡単に手に入れることができる。インターネット上でも
多くの情報を手にすることができる。これは、不況により性風俗産業の多様化が進
んだ結果であるといえるかもしれない。近年、性風俗産業界には王道と呼ばれたソ
ープランド以外に、ニューフウゾクと呼ばれる新しい形態の売買春業が多数登場し
た。例えば、80年代後半から発展した「ヘルス」である。ソープランドでは、
「ホンバン」と呼ばれる性交渉をともなうサービスを提供するのだが、ヘルスでは
その「ホンバン」がない。女性が手や口などを使い男性を射精させることが、サー
ビスの主流である。また「性感」と呼ばれるところでも、「ホンバン」と呼ばれる
性交渉をともなうサービスはない。「性感」という事業が登場した当初は、「脱が
ない舐めない触らせない」ということをキャッチフレーズにしていた通り、性感で
は男性への性感マッサージを中心としたものであった。しかし、90年代に入りヘ
ルスの勢いから、そのサービスの内容を一転、進化させた。ヘルスや、性感の他に
「イメクラ」と呼ばれる男性が自分のイメージ通りに女性とプレイを楽しめるもの
や、「SMクラブ」など、性風俗業界の内容はさまざまである。しかし、バブル期以
後の不況のあおりを受け、これらの業種の境目が崩れているという。「ホンバン」
がないとされるヘルスや性感でも、個人レベルでの交渉によって「ホンバン」が行
なわれているという。また、ソープランドのように改正風営適正化法で許可されて
いる事業とは違い、法の目の届かないアンダーグラウンドでひっそりと売買春業を
おこなっている「裏フーゾク」と呼ばれる事業も多々ある。
 このように見てくると、性風俗産業(売買春業)は、形態や規模を変えているだ
けで、やはりまだまだその存在は大きいものといえるだろう。

2.売る側の意識と現実
(1) インタービューによる調査
 性風俗産業に関して、資料を集めて外側から議論してもそれは外側からくくった
資料でしかないため、実際性風俗産業界に携わっている女性にアプローチさせてい
ただいた。売買春業が、まだまだ健在のようにみえる現代日本の「売買春」の実態
というものを、彼女のインタビューからさぐっていきたい。

〈インタビューについて〉
・ 日時 11月29日 水曜日
・ 場所 東京
・ 彼女の携わる業種 ソープランド
 ※インタビューさせていただいたその方が、ご自分で自分の職業を「管理売春」
であるということを認めていらっしゃることを前提に、あえて「売る」側の意識と
させていただく。また、その方がご自分の働いているフィールドと、一般に普通と
されている社会を分けて考えていらっしゃることをふまえて、「売春」が行われて
いる世界と一般社会を分けた書き方をさせていただく。また、売春をしている女性
を売春婦や娼婦ではなく、「セックスワーカー」と呼ばせていただく。

(※(2)のインタビュー部分については割愛。)

(3)インタビューから見える「売る」側の現実
 インタビューを行ったことによって、「売買春」の現実というものを少し垣間見た
ような気がする。どこか、前近代からの強制的な売春をイメージしていたが、彼女
の話からはそのような時代の売春とはまったく違った世界がそこにあることがわか
った。
 彼女の話では、「素人」と「玄人」という境目がほとんどないということであっ
た。これは誰でも、売春という世界に入っていきやすくなっているということであ
ろうし、玄人からも素人の世界、つまり一般社会にも戻っていきやすいということ
である。だからこそ、近年、より高いステータスを求めたり、ブランドものを買う
ために「売春」ということを簡単に行う女性が増えているのだろう。現在日本のソ
ープその他、目に見える店舗で行われている売春は、女性の意志によるものがその
ほとんどという。これは、その世界に入っていくのが女性の意志のように辞めるの
も女性の意志でできるということである。前近代の公娼制度や売春に見られたよう
な人身売買、人身拘束といった側面は現在でのソープなどではないということであ
る。また、前近代の管理売春と違うところは厳格な管理下に置かれていないという
ことである。インタビューからもわかる通り、彼女たちセックスワーカーは個人、
個人がテナントのような意識をもっているようで、管理され、支配されているとい
う感覚はほとんどない。逆に、本指名の多いセックスワーカーになると雇用者より
も強い立場に立つことさえある。また、意志に反することがあれば反抗や抵抗の自
由も辞める自由もある。また、お客との関係も和やかということで、そこには男性
に支配されている女性像というものはあまり見えてこない。これらは、「売春」と
いうことが行われている世界が大きく変わったことの証であろう。しかし、彼女の
話にもあったが「売春」ということをするに至った経緯や背景には、前近代同様、
経済的理由が大きい。ただし、その経済的理由は絶対的なものでなく逃れられない
貧困ではない。そういった理由もあるだろうが、セックスワーカーたち自身には
「性的搾取」されているという感覚はないようだ。前近代から変わらないものがあ
ると言えば、それは社会からの「醜業婦」観と言えるかもしれない。後述の「買う
側の意識と現実」のところでも触れるが、他人に関しては「売春という仕事があっ
てもよい」としているが、自分の身近な人の話になると急に反対する人がまだまだ
多いのは、その証拠であろう。彼女もインタビューで「やはり社会がなんかしら
「汚れ仕事」というイメージを持ち続けているのも変わっていませんね。他人事レ
ベルなら「いいんじゃないの」と言う人も、自分の身内や恋人レベルがやるとなる
とこの職業への嫌悪感をあからさまにしますし」と語っていた。売る女性側や客の
意識がかわっても社会からの見方は、依然変わらないといえるだろう。また、警察
その他公的機関による検査が名目的ということも前近代と変わらないものかもしれ
ない。ソープの内部で行われていることが「売買春」であることは明らかであるが、
それを黙認している。これはやはり、公的機関の支配層のほとんどが、男性という
ことも大きいと考えられる。
 「醜業婦観」や「名目的検査」といった項目は、変化がないようであるがその他、
セックスワーカーの「売春」に対する意識や管理している店や客との関係は大きく
変化したといえるだろう。

3.買う側の意識と現実
 19世紀に入って、「男性は女性よりも性欲が強い」ものであり、その性欲は抑
えることができない、それが男の本能であるという神話が日本にも輸入され、女性
には貞操を求め、男性には婚外交渉を肯定するというダブルスタンダードが今なお
現代にまで蔓延っている。男性にとって、「心と体は別物」という神話が、男根主
義を支え、買春ということを支えているとも言われる。では、実際には、買う側で
ある男性(買ったことのある男性)は、「売買春」についてどのような考えをもっ
ているのだろうか。また、そのようなダブルスタンダードは、男性の買春という考
えにどのような影響をもたらしているのだろうか。次の資料をもとに分析してみた
い。

〈分析資料について〉
・『買春に対する男性の意識調査』報告書 (男性と買春を考える会、1998年)
・「裸の日本人「性行動」と「性意識」の全貌」 (月刊現代、2000年7月号) 
 ※上記の資料の調査から抜粋したアンケート結果と分析を利用するとともに、両
調査を比較・検討し、私なりにも分析を加えたい。また資料として載せているグラ
フその他は、上記資料をもとに作成したものと引用したものである。

(1) アンケート調査による分析
・サンプルについて
 男性と買春を考える会の調査による『買春に対する意識調査』報告書(以下買春
を考える会による調査)だが、これは1997年8月から10月に行われたもので、
無記名、郵送による回収を行ったものである。回収数は2502通で、回答者の年
齢層、居住地は広範囲に及ぶ。しかし、回答者の職業には多少偏りが見られ、公務
員(教員も含む)、学生が多く、全体の46.5%を占める。一方、月刊現代によ
る「裸の日本人の全貌」(以下月刊現代による調査)は、2000年初頭に行われ
たもので、インターネットを回答回収に用いた調査である。男性の有効回答数は、
1291人で、買春を考える会の調査同様、回答者の年齢層、居住地は広範囲にわ
たる。職業は、買春を考える会による調査が公務員の回答者が多かったのに対し、
月刊現代による調査では、民間企業の正社員が43.5%をしめている。この職業
の差はさほど関係がないと思えるが、多少の考慮は必要と思われる。
・ 結果と分析
 まず、金銭を払って性的サービスを購入しかことがあるかどうか(「買春」を行
ったことがあるかどうか)という質問に対する回答だが、「経験あり」と答えたの
が、買春を考える会による調査では全体の46.2%であり、月刊現代による調査
でも46.6%であったことから買春経験者の割合はほぼ同じとみてよいだろう。
しかし、「経験なし」と答えたのが、買春を考える会による調査では全体の半数以
上の51.3%であったのに対し、月刊現代による調査では44.3%であった。
この7%の差は、無回答による差とも考えられるが、買春を考える会のサンプルの
平均年齢が42.7歳であったのに対して、月刊現代のサンプルの平均年齢が37.
3歳であること、また前者の調査では20歳未満と50歳以上が全体の25.4%
と約4分の1を占めているのに対し、後者は全体の13.4%であるということ、
買春を考える会のサンプルの30代は、23.7%であるが、月刊現代のサンプル
に占める30代の割合は高く、39.2%であることなど、サンプルの年齢層の差
も「経験なし」と答えた割合の差の原因と考えられる。
 買春を考える会による調査の「買春経験と年齢層の関係」によると、30代後半
が最も経験が多く64.4%となっていることからも買春経験の有無と年齢層は大
きな関係があると考えられる。
 買春の経験あり、なしという回答が約半数ずつであったことから、「買う男」と
「買わない男」といったように、「性の自由市場に対する男性の身の処し方は、明
らかに二極分化している。」両者を分けているものは、何であろうか。このことに
関しては、買春を考える会による調査の「初めての経験の動機」という設問と、丹
羽雅代氏の「30才を過ぎて初めて買春をした人たち」という考察が参考になるの
ではないだろうか。まず、初めての経験の動機だが、「友人・知人に誘われて」と
いう回答が最も多かったことに注目したい。2番目に多かった回答は、好奇心から
というものだが、これは買春を行うにあたって「仕方なく」という動機以外、全て
に関連してくるのではないだろうかと考えられる。「好奇心があったので、友人・
知人に誘われて行った」とも言いかえられるのではないのだろうか。
 1番目に多かった回答である「誘われて」というものに注目すべきなのは、自発
的ではないという印象を与えられるからである。実際に、買春を行ったことのある
男性にインタビューした際も、買春を行った動機について、その男性は「誘われて
行った」と答えていた。丹羽氏は、30才を過ぎて初めて買春をした男性を、周り
から突出することを恐れる『普通』と呼ばれる男性像と推測し考察している。彼女
の考察によると、「出張や旅行の機会に買春を行った男性が彼らの中には多いこと
から、セックスそのものに対して特に期待や熱意があるわけではないが、なんとな
く成り行きでちょうどそこにチャンスがあったから」買春を行ったのではないかと
している。しかし、初めての買春の経験の動機が「友人・知人に誘われて」が第1
位の回答であることから、丹羽氏の考察による「ちょうどそこにチャンスがあった
から」というのは、多くの男性に当てはまるのではないだろうか。「買う男性」と
「買わない男性」を分かつ理由は、道徳心や良心、経済的理由などさまざま考えら
れるが、買春というものに対する好奇心をたまたま満たすチャンスがあるかどうか、
その勇気があるかどうかが大きいのではないだろうか。前項の「売る側の女性」へ
のインタビューでも、その女性は週末になると、「飲み会ながれでくる団体客が多
い」と語っていたところをとっても、やはり二極分化している間には大きな差はな
く、「機会」の問題が大きいと思われる。また、よく買春を行う男性は、なんらか
の障害や環境によってセックスパートナーを得られなかったり、パートナーとうま
くセックスできなかったりする人だとも言われる。この初めての動機でも4番目に
多い回答が「セックス出来る相手がいなかったから」である。だが、買春経験の有
無とパートナーの有無に大きな違いはないようである。やはり、パートナーとは関
係なく、好奇心と機会が重なったところが経験の有無に作用するのではないだろう
か。
 では実際にどのような性的サービスを購入しているのかを、次にみていきたい。
買春を考える会による調査でも、月刊現代による調査でも「ソープランド」という
回答が前者では70.2%、後者では70.5%と圧倒的に多い。
 その他のサービス、ファッションヘルスやピンクサロンなどの回答の差は、前に
も触れたが、平均年齢の差によるものが大きいと考えられる。ただ、平均年齢の差
によるものだろうか、月刊現代による調査では援助交際、つまり個人営業の売買春
の広がりが見られるということである。女子中高生など、18歳未満の少女を相手
とした援助交際(これはもちろん青少年健全育成条例違反に相当する)は、3.1
%にとどまるが、18歳以上の学生、主婦その他成人女性を相手にした援助交際
(援助交際と呼ぶかどうかは疑問がのこるが)となると11.6%にのぼる。買春
を考える会による調査で、援助交際というカテゴリーに入ってくるものは「テレフ
ォンクラブを通じて」という項目で5.7%であるが、月刊現代による調査では合
計14.7%にのぼる。
 こうした、素人女性のセックスワーカー化は1980年代に始まった。1980
年代にはマスメディアによって性情報が氾濫し、ノーパン喫茶など素人でも入って
いきやすい性風俗産業が発展した。30代の男性が、買春を経験し始めた時期は1
980年代と考えられ、月刊現代による調査サンプルの平均年齢が37.3歳であ
ることから、素人女性によるセックスワーク購入が多いことと因果関係があると思
われる。また、女性側の意識にも変化が見られることが、素人女性のセックスワー
カー化、援助交際の増加につながっていると考えられる。
 しかし、素人女性を買いながらも、買春を考える会による調査では多くの男性が
「お金が介在するセックス」と「介在しないセックス」には違いがあるとしている
ことがわかる。
 違いの中身であるが、買春を考える会は、"機械的"、"心がこもらない"などだが、
一概にはいえず、相手の女性によっては「とても中身の濃い体験となった」として
いる。極めて素人に近いセックスワーカーを求めながらも、やはりお金が介在する
セックスは違うとしているところに、第4章の(2)のインタビューのセックスワ
ーカーとお客との関係でも出てきたが、男性客のワガママさがみてとれるのではな
いだろうか。性の自由化が進んだといわれるが、買春をおこなったことに対してま
だまだ白い目で見られるこの社会で、「素人女性」とのセックスという響きはいか
にも買春をおこなっているという感じを遠ざけている気がしてならない。 
 この男性の都合のよい意識は、買春を考える会による「男性が買春をする理由に
ついて」という質問に対する答えからもよくわかる。買春を考える会による調査で
は、「買春経験者」と「買春非経験者」とをわけて分析しているが、その質問に対
する回答にはあまり違いがないようである。買春をする理由について、最も多い回
答は「刺激を求めて」であるが次に多い回答が、買春経験者では「生理的欲求とし
て当然だから」、買春非経験者では「売る人がいるから」と、自分を正当化する理
由が目立つ。また、月刊現代の「買春に対してどんな気持ちになるか」という質問
に対しても最も多い回答が、「病気をうつされることが心配である」という回答で
57.7%にのぼり、2番目には「愛情のあるセックスに満たされていても、時に
は金を払って遊びたくなる。『デザートは別腹』である」という回答が49.4%
にのぼった。3位にも「性欲を満たすためというより、むしろ好奇心からである。
恋人や妻とのセックスとは違った新しい刺激があり、別の楽しみがある」という項
目が選ばれ、40.4%だった。これら一連の都合の良い回答からは、男性の強い
権力的な面や支配欲は見られない。しかし、男性の性欲は生理的なもので仕方がな
いという神話や婚外交渉は、男性には当たり前といったダブルスタンダードが根強
く日本社会に反映されていることがわかる。あっけらかんとしたこのような男性の
考えが、日本の男性社会を支えているのだと感じられる。
 では、近年セックスワークの是非や法に関して議論が活発化しているが、買春を
する男性たちはどのように考えているのだろう。
 買春を考える会による調査では、約3割の男性が売買春は合法化されるべきだと
考えているのに対し、月刊現代による調査では約4割が合法化されるべきであると
考えている。この差は、買春を考える会の方は「売買春に関する声に対して」とい
う項目で、6つの選択肢がある質問であるのに対し、月刊現代による質問は「セッ
クスワークを合法化すべきか」という質問で3つの選択肢を設けてあることから、
質問の仕方・内容による差とも考えられる。しかし職業、平均年齢の差とも考えら
れるため、この差は一概に述べることはできない。ただし、注目すべき点がある。
それは、月刊現代の同質問を女性にした結果である。月刊現代では「完全に非合法
化し、廃絶すべき」と回答した男性が8.3%であったのに対して、女性が25.
5%とであったことは当然予想された結果であるが、「合法化すべき」という回答
を選んだ女性が23.7%という高さであったこと、「現状維持が一番いい」とい
う回答が45.9%であったことから、これを仮に「渋々ながらの肯定派」とみな
すと、女性の7割がセックスワークを容認しているという分析を行っている。これ
は、素人女性のセックスワーカー化同様、女性側の性意識も変化している結果と考
えられる。
 ただし、この月刊現代による女性の約7割がセックスワークを肯定しているとい
う分析は、第3人称の男性の場合にだけと考えられる。つまり、他人事の時は、そ
ういうことがあってもいいとできるが、自分の身近な男性や家族などの場合は肯定
派とは言えなくなるだろう。月刊現代の女性になされた「男性が性的サービスを買
う行為について、どう思うか」というアンケートに対して、「不愉快で許せない。
女性をお金で買う男とはつきあいたくないし、わかった時点で別れる」が最多で2
7.9%であったことからもわかる。売買春という行為が自分の目の届かないとこ
ろで行われていることに対してはある程度、容認はするが、目に見えるところで行
われることは嫌い、買う男性は、自分の身近にいる男性であってほしくはないとい
う女性の考えがうかがえる。しかし、この考えは女性のみならず買う側である男性
にも強いようである。自分の身に直接ふりかかる問題となると、売買春賛成派だっ
た男性も急に態度を一変させる。月刊現代による男性回答者に対して「自分の妻
(パートナー)や娘がセックスワークを行っていると知ったら、どうするか」とい
う質問の回答から、その傾向をはっきりとみることができる。
 妻(パートナー)の場合は、「話し合い、やめるように説得する。やめれば許す
が続けるならば、別れることも考える」が31.6%で第1位。「絶対に許さない。
即座に別れる」が第2位で23.2%であった。また、第4位には、「殴ってでも
やめさせる」という回答(10.4%)が入っている。
 娘の場合も同様で、「やめるように説得する。すぐには従わなくても、諦めずに、
愛情ある説得を続ける」で最多の40.5%。2番目に多かった回答は、「絶対に
許さない。殴ってでもやめさせる。従わなければ勘当も考える」というもので30.
1%であった。
 圧倒的に「やめさせる」という項目を選んだ男性が多かったことからもわかる通
り、買う男性側も自分の身近な問題となると話は別になるようである。これは、ま
だまだセックスワークという仕事に対して「汚い仕事」という考えをもち、セック
スワーカーという言葉が登場した現代でも明治期と変わらず「醜業婦」観をセック
スワーカーに対して、社会が持っている証拠であろう。

(2) アンケート調査に見る「買う」側の現実
 アンケートに答えた男性から、全ての男性についてということは言えないが、
「買う」側の男性の意識を垣間見ることができた。
 買ったことがあるかないかという経験の差は、アンケート分析によるように
「機会」の差によるところが大きいのではないだろうか。したがって、一概にはい
えないが、買春を行ったことがある男性が特別なのではなく、買春を行ったことの
ある男性も買春を行ったことがない男性もその間にはあまり差がないと考えられる。
そのような男性にとって「買春」とは、やはり男だったら仕方のないことと考えら
れていることが、さまざまなアンケート結果からみることができた。決して、女性
に対して支配的な考えや態度を表に出しているわけではないだろう。だが、男性に
とって都合の良い「性欲神話」や女性と男性に違った性道徳規準を設ける「ダブル
スタンダード」的な姿勢は、現代日本にまだまだ根強く残っていることは確かであ
る。また最近の傾向として、第4章の2でセックスワーカーの女性が話をしてくれ
た通り、男性側に「素人」に近いセックスワーカーを求める様子がうかがえ、新た
な「売買春」の形態をつくりだしているといえる。この限りなく素人に近いセック
スワーカーを求める男性からも、恋人気分で自分の言うことを聞いてくれる女性を
求める都合の良い考えの男性像がうかがえる。また自分が買うことに対しては肯定
的であるにもかかわらず、自分の身近な人が「売春」に関わることは許さないとい
う男性の姿からも、外で春を買う男の顔と内で父親や夫としての顔を使いわけてき
た、昔ながらの二重規準もまだまだ存在しているといえるだろう。
 
4.まとめ
 「売買春」という問題について、男性側の意見を聞くと、男性にとって都合のよ
い考えであるダブルスタンダードや性欲神話はいまだ根強く日本社会に存在し、男
性至上主義社会を支えていることがわかる。「買う」側の男性の意識や態度から、
「売買春」というものがなくならないのは、男性社会であり、家父長制度が日本社
会を覆っているからとする論が成り立つことはやはり正しいと思えた。売買春の是
非を問うなら、この点を考えなくてはいけないだろう。だが、権力という視点に絞
って現代日本の「売買春」を見てみると明治期からの公娼制度下の売買春とはやは
り違っているといえる。男性の買春に対する姿勢も、確かに男性たちは自分にとっ
て都合の良い考えをしており、それが売買春存在の理由の1つになっているとも言
えるが、フェミニストがいうような支配的な態度ではなく、女性を権力下におこう
という考えが見られるわけではない。たとえ権力的な態度をとっても、逆に女性に
反抗されることがしばしばあるのは、セックスワーカーの方へのインタビューで見
たとおりである。この売春をおこなっている女性の中に搾取されている、支配され
ているという意識がほとんどないということは、大変意味が大きいのではないだろ
うか。1人の女性に対するインタビューだけでは、売春を行っているすべての女性
に関して述べることはできないが、当事者であるセックスワーカーやお客側の意識
の中ではそういった支配−被支配といった関係はあまり見られなかった。フェミニ
ストや女性団体の中には売買春は、女性に対する暴力であり、性的搾取であるとす
る意見がある。また、売買春は男性による性的支配の具現化ともいわれている。仮
に搾取があり、抑圧があると言う前提を取り払っても、女性の性のモノ化自体が女
性への人権侵害とする人もいる。だが個室レベルで個々の状態を見ると、そのくく
り方が必ずしもあたっているとは考えにくい。むしろ、女性が男性に対して優位に
立つ場面もセックスワーカーと客の関係だけでなく、店の経営者との関係にも見ら
れる。売買春というものに直接関わらずに外側でくくった枠内では見えてこない、
権力関係、支配関係というものも現在の日本の売買春の世界には存在するのではな
いだろうか。フェミニストたちが言うような一方的な権力関係ではなく、多方向に
向かった権力が存在するのではないだろうか。

第5章 権力構造と売買春
 第2章から第4章まで、「歴史」、「法令」、「現状」という視点から売買春を
みてきた。そこにあった売買春の形態は多様で、「売買春」と一口にいっても、時
代や背景によって1つの行為としてとらえるには憚られる。しかし、売買春という
ものが日本で存在し続けた理由の1つは、やはり男性至上主義的な社会が背景にあ
ったからということは、前章までの考察でいえると思う。この男性至上主義的な社
会だが、男女の権力構造に支えられている部分が大きいだろう。当然、売買春の問
題に関しても、ラディカルなフェミニストたちが買春は「女性への暴力」であると
か、「女性の性奴隷化」であるとしているように、売買春存在の理由の1つである
男性至上主義的社会に注目し、それを支える男女の権力構造から売買春の問題に批
判や糾明を行ってきた。だが、売買春における権力は、言われてきた通り、男性か
ら女性へ向かう一方的で直線的な権力ととらえることができるだろうか。第5章で
は、権力構造から売買春をとらえるのではなく、前章までの考察をふまえて、売買
春というものから逆に、男女間の権力や権力構造について考えていきたい。

1. 権力とセクシュアリティ
(1)権力とは
 まず権力についてだが、権力とは何であろうか。権力とは、辞書的な意味では
「他人を強制し、服従させる力。支配者が被支配者に加える社会的強制力」である。
男性が上で、女性が下とみなされる社会においてでは、こういった権力は男性が持
つとされる。
 ラディカル・フェミニストであるアンドレア・ドウォーキンは、『ポルノグラフ
ィ』の中で、このような男性の権力は7つあるとしている。1つ目は、「自己とい
う権力」である。ドウォーキンによると男性は、先駆的に存在する絶対不変セルフ
を持ち、それを支えるためにはどんなものでも取ってよいという持つ権利を与えら
れているという。2つ目は、「肉体の強さによる支配という権力」である。権力と
しての肉体的強さを持つ権利は、男だけに認められており、その肉体的強さを理由
として男は女を支配する権利を有しているのである。そして3つ目の権力は、「威
嚇や攻撃性といった暴力的な権力」である。この攻撃性といった権力は、遺伝学や
生物学によって肯定され続けている。ドウォーキンによるところの男の権力の4つ
目は、「命名する権力」であり、男は命名を通じて女性に男の欲するとおりの存在
様態を強いるのである。男はこの権力によって、女らしさを規定する。男は、自分
の欲することをやり、その行為を、自分に都合の良い名で呼ぶという。そして5つ
目は、「所有する権力」である。ドウォーキンによると、この権力は歴史上絶対的
とされ続けており、「女と女から生まれるものを所有する権利を持つということが、
歴史以前、進歩以前に決定づけられた自然なことだと想定」されているのだ。この
権力は絶対的であり軍隊や法律に支えられ続けている。またこの権力のほかに、6
つ目には「金銭の権力」、7つ目には「セックスの権力」を男性は有するとしてい
る。
 ドウォーキンほど、ラディカルに男性の権力をとらえなくても、多くの国や地域
で男性はさまざまな権力を有しており、やはり日本でも男性は権力を有していると
いえるだろう。また江原由美子も著書である『装置としての性支配』の中で、「性
支配」が「社会的権力」として存在しているとしている。彼女によると「社会的権
力」とは公的権力とは区別され、「男性という社会的カテゴリーに属する成員と、
女性という社会的カテゴリーに属する成員の間に「社会的権力」に基づく「支配−
被支配」関係が存在するということである。この社会的権力は社会の構成員から構
成員に向かって行使される権力であって、公的権力とは区別されているが、公的権
力が持つ性質も社会的権力が持つ性質も同様のものと考えられる。現在日本では、
法律上平等が定義されており、法規範の上では平等とされているが、実際は性差別
が存在する。これは男性という社会的カテゴリーに属する成員が社会の実質的権力
を握っているためであり、女性という社会的カテゴリーに属する成員は、そこでも
また被支配的関係に置かれているからである。つまり、公的権力も社会的権力と同
様の性質を帯びていると考えられる。

(2)権力の行使
 さまざまな形や意味をもつ男性の権力であるが、これが行使される時初めて、そ
れは現実の力となる。女性に対する支配や強制的に服従させる欲求を実現させるた
めの現実の力である権力は、今日の男権主義的な制度や文化の全体によって支えら
れている。この権力を行使することで、男性は女性を丸ごと支配しようとするので
ある。
 ドウォーキンによると、男の女に対する社会的、性的な支配を正当化すするため
に、つまり支配という権力の行使を正当化するために女は男と同程度に危険だと信
じなければならず、存在すると主張されている女のサディズムは男によって管理さ
れているかぎり、男にとって快楽を与えるように操作され得るとしている。また、
それと同時に女は男によって統制させずに自由に行動するという幻想が大きく存在
しているという。つまり、ポルノグラフィが存在すること自体が、女性は身を売る
のが好きで、自ら選んで身を売るのだし、女の淫売としての本性はポルノグラフィ
(写真)が存在する以前に、既に立証されているのではないかという確信を生むの
である。したがって、この女性の淫売は統制されなければならない、狂暴で野性的
な女を統制する権力の行使の必要があるという幻想が生まれるのである。また、彼
女によると力が人種的・性的に蔑まれる人々に対して行使される時、力は力として
認識されず、それがどれほど恐ろしく破壊的で、苦痛で屈辱的であろうと女は女に
対して起こることを欲していると考えられていることが普遍的に確信され続けてお
り、ポルノグラフィにおいて女が被る(権力という名の)暴力は、女の意志として
想定されているという。
 男性の権力は、さまざまな幻想のもとで女性があたかもその支配をのぞんでいる
かのようにとらえられてきた。女性は常に権力の行使下に置かれ、統制されるもの、
受動的な存在としてとらえられてきたのである。

(3)権力とセクシュアリティ
 そして、この男性の権力は「セクシュアリティ」ということにも影響を及ぼして
いるといえる。「セクシュアリティ」という言葉は、19世紀に入ってから出てき
たものである。セクシュアリティの意義は多様で、性行動をさす場合もあれば、そ
れに関わる性的欲望・空想をさす場合もある。このセクシュアリティであるが、男
性が権力を有してきた男性社会においては、女性に対して支配的で、暴力的で従属
関係を強いる関係であることが多い。それらの関係の中で、女性の性は男性の権力
下におかれ、受動的にとらえられてきた。当然、女性と男性の実際的な性的な関係、
つまり性交渉をも包み込み、性行為においても女性が求められる役割は同様で男性
が有する権力により、女性が性行為の主導権を握ることはなく、受動的であること
が美徳とされてきた。ドウォーキンのいう「セックスの権力」は、男性が有する性
的な権力であり、その権力が最も典型的に表現された現象が性交である。ドウォー
キンはもう1つの著書である『インターコース』で、「女を貫くことによって、男
は女に支配的になる」としており、性交渉ということが女性を占領し、支配し、男
性にとって基本的な優位を表現したものだとしている。これは、性行為が男性性器
の女性性器への挿入という形をとるため、男根が優位におかれると考えられている
ためである。これは、男根が決して本質的に高い価値を有するというわけではない。
しかし、社会の多くではこの男根が優位に考えられる男根主義がそのまま性行為や
性欲の肯定理由となっている。だが、男根が本能的に優位とされているのは幻想で
あり、この男女の違いは単に身体構造上の発達の違いでしかないのである。
 しかし、近年女性の性が受動的であるという考え方や男根主義的な考え方など従
来の性道徳に対して女性側から反対の声があがり、世界的な規模において女性運動
がおこった。その影響は大きく日本でも、男性の権力下におかれるような性道徳が
崩れてきている。ここに興味深い1つの例がある。
 月刊現代が「裸の日本人「性行動」と「性意識」の全貌」において行った、ルー
ティンセックス(日常の性行動)の調査である。これによると、パートナーとほぼ
必ず行う行為という項目の第1位は「正常位による挿入行為」であった。しかし留
意すべきはそのパーセンテージである。「正常位による挿入行為」を「ほぼ必ず行
う」と回答した人は71.2%にとどまった。つまりルーティンセックスを行う際
に、正常位による挿入行為を必ずしも行うとは限らないカップルが、3割近くもい
るということである。さらに、意外なことは、「挿入行為による射精」を「必ず行
う」とした回答者の割合は、37.7%ときわめて低かったことである。
 つまり、ルーティンセックスのたびに挿入行為で射精にいたる男性は、全体的に
みれば少数派に属するのである。これは性器結合と射精のみをセックスととらえて
いた、ひと昔前の男根中心主義的なセックス観が、今では大きく崩れてきているこ
とのあかしだろう。

2.権力と売買春
(1)権力と売買春
 ラディカル・フェミニストであるドウォーキンにとっては、買春を含めてポルノ
グラフィは、女性性を男性にとってフェティッシュなもの(男性を誘発させるもの)
としてとらえたものであり、それが穏やかであろうと過激であろうと、買春は男の
優位性の具現化にほかならないとしている。そして彼女は、買春を含め、男性にと
って性的なもの(男性を誘発させるもの)を権力支配の象徴として、全ての性的な
表現その他のもの(ポルノグラフィ)に対して徹底的に批判している。また、『性
の植民地』を著したキャサリン・バリーも「性そのものが女性に対する搾取の基本
であり、性のモノ化(ポルノグラフィ)は女性に対する暴力の前提条件である」と
して、ポルノグラフィを否定している。彼女たちにとっては、買春という行為も男
性による女性所有の具現化でしかなく、また暴力であり反女性的であるととらえら
れている。しかし、現代日本の売買春は、ここまでラディカルにとらえられるもの
であろうか。次の項で検証したい。

(2) 買売春の現状に見る権力構造
 前項で見たとおり、ラディカル・フェミニストたちにとっては「売買春」は女性
に対する暴力以外ほかならなかった。それが、過激であろうと穏やかであろうと、
性を商品化させるシステムこそが男性支配のシステムにほかならず、女性は男性の
権力下におかれるとされている。しかし、実際はどうであろうか。そのように一方
的で、支配・暴力的なものであるだろうか。
 第2章で見てきた「売買春」の歴史の中では、確かにそのような一方的で支配的
な男性の権力が、売買春の中にみてとることができる。特に明治期からの公娼制度
では、名目的な公娼制度廃止と公娼化の繰り返しや娼妓という身分の建前としての
解放など、女性の中でも下層部におかれていた女性に売買春という行為の中で男性
の権力下におかれることを強いてきた。しかしこれは、女性に売春という行為を強
いる社会的な事情「貧困」があったからであり、女性は売春という行為を選択せざ
るを得なかった結果である。つまり結果的に下層階級の女性たちは、男性至上主義
社会というヒエラルキーに組み込まれたのである。しかし、注目すべきは、徐々に
そのヒエラルキーに不満や疑問をもった娼妓である女性たちがそれを打破すべく、
もしくは改善すべく運動していたことである。権力下におかれたものではないと、
その権力という抑圧に対抗する力や文化は生まれてこない。大正デモクラシー期に、
娼妓たち自身が男性権力(楼主であったり、雇用主であったり)と組織的に闘った
ことは、最終的には元通り、男性の支配下に置かれてしまったとしても、既成の権
力体制に対抗する力として評価すべきだろう。
 このように権力が一方方向ではない状況が、実際の売買春という世界においては
存在するとすると、第3章でみた法という権力は、やはり最も意味をなさないもの
となってしまうかもしれない。売買春に関する法というものが、売買春が行われる
現状でつくられた規則ではなく、外側にいる人間が売買春という行為をしている人
間を一まとめにくくって作ったものであるために、法の意図とは反対に売買春を助
長させてしまうなど、本末転倒的な事態がしばしば見られた。明文化された権力で
ある法は、柔軟性にかけるためにそのようなことが起こるのだろう。
 アンドレア・ドウォーキンやキャサリン・バリーのいうような男女の権力構造に
対して最も疑問を抱くのは、現代日本で行われている売買春という行為である。買
う側の男性には、確かに無意識のうちの「ダブルスタンダード」や「性欲神話」が
あった。だが、買春をしに行くその意識や態度には女性に対する強い支配欲といっ
た感じはうけとれなかった。また、売る側であるセックスワーカーからも、客であ
る男性から支配されている、権力下におかれているという意識や認識は見られなか
った。たとえ、男性がそのような支配的で権力や暴力を誇示したとしても、個室レ
ベルでは逆に女性から反抗され、女性が男性に対して優位に権力を持つこともある。
アンケートでくくった男性像や1人のセックスワーカーからの話だけでは、全ての
売買春ということに対して、このことがいえると考えられない。しかし、だが1人
でもそういった見方や行動をとれる女性が現代の買買春の世界には存在するという
ことが大きな意味を持つのではないだろうか。自分の意志によりセックスワークを
行う現代日本においては、ラディカルなフェミニストが言うように男性の権力とい
うものは、一方的で支配的ではなく、もっと柔軟に働いているといえる。

3.まとめ
 男性が握っているとされている権力はさまざまな形態をもっている。行使される
場面も意図も多種多様であるが、ラディカルフェミニストがいうように一方的で厳
しいものだとは、現代では考えにくい。男根主義が崩れてきているように、性道徳
の変化など、権力だけでなく権力をとりまく環境が変化している。これらが、男性
の権力にも影響し実際の性交渉や性道徳の変形を招いているのではないかと考えら
れる。

第6章 おわりに
 男女の間の権力というものは、種類こそ多いが直線的で一方的なものと考えられ
てきたのではないだろうか。一部のフェミニストたちが言うように、激しくラディ
カルなものではないにしろ、多くの人にとって男女間の権力は男性から女性に向か
うもの、特に「売買春」ということに関しては、その傾向が著しく見られるものと
考えられてきたのではないかと思う。だが、そう考えられている売買春の世界の内
部では必ずしも権力は、そういった直線的で一方的なものとして働いていない。一
般社会よりもむしろ柔軟に働いている。「売買春」を存在させているのは、確かに
男性が権力を握っているとされる男性至上主義社会だからだろう。たぶん、男性と
女性が同等とされる社会には到底ならないと思う。これからも、男性社会が存在し
続けるであろう。それは、社会というものが誰かしら上に立って率いていかなくて
は成り立たないだろうし、そうしないと動かないからである。しかし、上に立って
率いている者が偉いということではないことに留意しなくてはいけない。だがやは
り女と男が対等な関係であることが、社会にとっても性に関しても一番良いことな
のだろう。フェミニストの1人である宮淑子は、「女と男が、男と女が、対等な関
係でノビノビと生きてしあわせを感じるような、生きる活力となるようなエロスを
共有することができればいちばんいいことである」と言う。擬似的であるかもしれ
ないが、権力というものが男性から一方方向にはたらいていると最も考えられてい
た売買春の世界(特に現代日本の売買春の世界であるが)は、内部では権力が直線
的ではなく、柔軟に働いているという面もみられることから、どこよりもそういっ
た対等な性関係の世界を表す側面をもっているといえるのかもしれない。

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Copyright (c) 2001, TAKAHASHI, June(june.takahashi@nifty.ne.jp)
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Contents by HATTORI, Shiho. 2001.2.17