「近代」ってなんだろう? わたしたちが、今、「あたりまえ」のものとしている感覚や慣習的行動の枠組みができあがる、それが「近代」だ。ふだんは、この「あたりまえ」の中にいるわたしたちの目には、「近代」のしくみが映らない。映ったとしても、意識に上らない。
わたしたち自身がなんであるかを知るために、「近代」を問いなおしてみよう。そのための手がかりが、近年の研究から生まれている。今回は、「講談社選書メチエ」のシリーズから最初に読むテキストを選んでみたいと思う。
後期は、前期にテキストを読みながら形成されていった各人の関心にそってテーマを決定し、個人報告をしてもらう。
文献・前期
三浦雅士、『身体の零度』、講談社選書メチエ、1994年。
| 氏 名 | 後期のテーマ |
|---|---|
| 狩野 篤志 (かのう・あつし) |
近代日本における衛生〜『〈清潔〉の近代』を読む |
| 菅野 真由美 (かんの・まゆみ) |
メディアと「近代」 |
| 古川 亜希子 (こがわ・あきこ) |
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』を読む |
| ルディナタ・ビン・ミスヌン (ルディ) |
理論で読み解く植民地映画 |
| 渡辺 千春 (わたなべ・ちはる) |
視線の「近代」〜ポロック『視線と差異』より |
| 和田 周子 (わだ・ちかこ) |
スポーツの「近代」〜『甲子園野球のアルケオロジー』を読む |