---  高校の場合、男性教師の割合が高いため、共学、別学に限らず、ジェンダーバイア スは依然として存在していると思う。だから、女にとっては、別学はジェンダーバイ アスから、役割分担などの面から解放されるのではないかと思う。しかし、男の場合 は、さらに「男らしさ」を強要されているのだろうか。そう考えると複雑だ。  別学出身者からみると、別学の利点(ジェンダーバイアスからの解放)はやはり、 異性を意識しないで好きなことが *やりやすい* 点だと思う。世界が男又は女だけの ため、「だから男は……」「だから女は……」という二元論から解放され、個人を見 ようという考えが身につくのではないかと思う。(ただ、どちらか一方だけの世界の ため、卒業後異性と接触すると、最初の頃はとまどってしまうというデメリットもあ る。)  別学高校は確かにジェンダーバイアスから解放されるが、それは社会のジェンダー バイアスの一部分でしかない。そして、解放は一時的でしかない。(その一時期で才 能が開花する人もいるとは思うが。)全体的に見るとマイナスかも知れないと思っ た。  ジェンダーフリーとは異なるが、男子校や共学の方が女子校よりも、予算がおちや すいと思う。 ---  自分は女子高出身であるが、別学校を選んだことにはなんの理由もなく、たまた ま、入学できるレベルの高校が女子校だったというだけで、在学中も別学であること に違和感を持ったことも殆どなく3年間を過ごした。その当時、ジェンダーというも のについて考えたことがなかったからだけなのかもしれないが、今考えてみても、別 学がそれ自体差別なわけではないと思う。それを差別と呼ぶのは性別役割分業の観念 を抱く人々であり、実際、別学に通う生徒は差別なんて感じていないのではないだろ うか。  別学を共学化しようとする流れこそが、男女差別そのもののように思える。真に男 女が平等だと考えるならば、片方の性だけの集団、つまり別学が存在しても何の格差 もない筈である。確かに共学ならば異性の目を少なからず意識するために何らかの規 律は生まれるかも知れない。別学だとどうしても奔放になりがちである。しかしそこ で生まれる規律もまたジェンダーバイアスの類に含まれるのではないだろうか。“異 性の目”という外部刺激によってでなく、同性の間でも自己研鑽していけることも重 要だと思うし、また同性同士の空間の中でしか学べないことも多々あると思うので、 別学・共学がとりわけ大きな弊害をもたらすものとは考えられないと思う。 ---  以前、全く同じテーマについて(共学、別学のプラス面とマイナス面)についてゼ ミで話し合う機会があったのだが、その時と私の心の中では全く同じ結論に達した。  共学と別学、それぞれ勿論プラス面もマイナス面も両方持ち合わせており、どちら かが、一方的に好ましくないものであるとは定義出来ないと思う。感覚的に言えば、 世の中には男性と女性がいて、その双方が生活する社会に生きていく以上、それぞれ 隔離された状況で教育を行うべきではないとは思うが、なら一緒の場さえ設ければそ れでいいのかと言えばそうではなく、そこにおいて適当な教育が行われなければ意味 のないことだろう。それに比べれば別学の場でよりよい教育を行った方がジェンダー バイアスからの解放という観点から考えた場合ですら、望ましいと言え、一概には、 どちらかがいいとは決められない。  ただ、当然のことながら、選択できる余地は誰にでも与えられているべきだとは思 う。ディスカッションでも出た意見だが、現存の(あるいはほんの少し前まであっ た)制度や学校では学力によって選べる進路が自然と限られてしまい、結果、本意で はなく「別学」「共学」に通うしかなかったというケースが往々にしてある。学力の レベルに因らない、共学・別学も含めた幅広い選択が出来るよう、現行の教育制度を もう一度見直す必要性はあると思う。  また、現在、共学化の動きが活発で、男子校・女子校から共学へと変わる高校が多 いが、その際の移行方法についても考える必要がある様に思う。というのは、私の地 元でも数年前、女子校が共学になったり男子校が共学になったりしたのだが(もしか したらもっとずっと以前からそうだったのかもしれないが、「共学」として前面的に ピーアールされたのは数年前だった)、共学になったはいいが、元女子校には男子 が、元男子校には女子が、数える程しか入学しないという現実があった。いざ門を開 いて間口を広げたところで、入りにくいという問題はどうしてもあると思う。その際、 新しく入ってくるおそらく少数派になるであろう男子、女子をサポートするような、 あるいは別学から共学への実質的移行がスムーズに行われるような方法をも考えなけ ればいけないのではないかと感じた。 ---  私は小・中・高と共学の学校に通っていたので、別学の雰囲気がよくわからない が、今日のディスカッションでみんなの話を聞いてみて、たしかに共学では異性のこ とを気にしたり、男女の役割分担みたいなものがあったように思う。そのかわり別学 では教室内での男女の差別がなく、自由にふるまえたという意見があった。共学、別 学ともに良い面、悪い面があったが、ジェンダーをなくすにはやはり男女互いの理解 が一番大切だと思う。別学によって男性はこうあるべき、女性はこうあるべきと無意 識に教育されている可能性もある。だから私は共学の方が良いのではないかと思う。 ---  今、福島県の公立高校はすべて共学化される方向で計画が進んでいます。「別学= 悪」なのでしょうか?  以前の福島県は別学校が圧倒的に多く、特に進学校はすべて別学でした。これは私 も良い状態だとは思いません。ですから、共学化をすすめることには賛成でした。た だ、全高校を共学にする必要はあるのかと思います。  福商が男子校だった頃、西女には商業科がありました。だから商業を学びたい男子 は福商、女子は西女となります。後に南高の情報会計科が出来、商業を学びたい人 は、(学力の差という問題はありますが)共学、別学を選べる様になりました。  東高が共学化した後、別学が良い人は福高・福女、共学が良い人は東高、と選べる 様になりました。(事実、共学が人気の今、福高・福女の平均学力は下がっているそ うです。)  私は、すべてが共学化するよりも今のような状態の方が良い気がします。共学・別 学を選ぶのは本人、ではいけないのでしょうか?  私は女子校出身なので共学のことはよくわかりません。ただ、少なくとも女子校は とても居心地が良かったです。中学までの“男子”“女子”から解放されて“自分自 身”になれた気がしました。講義の中で「共学にすると不純異性交遊が増える」とい うコメントが紹介されていましたが、共学だろうが別学だろうが、遊ぶ奴は遊ぶし、 関係ない生活を送る人はいると思います。 ---  私は女子校出身ですが、別に男女別学に対して違和感を感じたことはなかったと思 います。女子高に行きたくて入ったのではなく、たまたま行きたかった学校が女子高 だった理由で別学を選びましたし、ジェンダーバイアスからの解放の観点から見て も、いちがいに良い悪いの判断はできないと思いました。プラス面では、男子の目を 気にする必要がないので、女性らしさを気にせず自由に発言、行動ができたり、中学 までは男子の役割分担だった、力仕事や重い物の運搬などやるようになった(男まか せにしなくなる)などで、マイナス面では、女子の世界の中にいるとやはり外の世界 (特に男性への)あこがれが大きくなってしまい、実際男女共同の世界にはいると理 想と現実のギャップにおどろいてしまったり、男性との接し方がわからないというこ とが出てくると思います。でも私は別学はそんなに悪いことではないように思います し、一時期女子だけの中で生活した経験は生かせると思うので、共学か別学かはその 人の意志によって自由に選択できればいいと考えます。 ---  私は共学だったのですが、女子校のように女子だけではないため、やはり、異性の 目を気にするように思います。男性の目があるため、女らしさや女としての自分とい うのを意識するのではないでしょうか? 高校という小さな社会ではあるが、男女の 役割のようなものも存在すると思うし。  今回私が話し合ったグループに男性がいなかったので、男性側の意見を聞くとがで きなくて残念でした。ただ、やっぱり女性は共学という日常と同じ社会にいること で、女としての自分を意識すると思うし、男性の目を気にすることで、「ほんとはや りたいけどできない」という気持ちから、自分の行動を規制してしまうこともあると 思う。年齢的にも異性の目が気になるときだとは思うけど、「男性にみられる意識」 というのを感じるのではないかと思います。そのへんを男性はどう思っているのか気 になるところです。男性も普通に生活していて、「みられる自分」を気にするのでし ょうか? それが自分の行動を規制してしまうときもあるのでしょうか? ---  女子だけ、男子だけの環境が長く続くと、一緒に行動する機会に恵まれない分だ け、性に対する意識が過敏になる。そして、理想像を作りあげたりする。「女性とは」 「男性とは」という像を空想の中で作り上げたりすることで、個性を見落としてしま うのだと思う。男性、女性という見方であるだけでなく、人間として相手を見つめた とき一人一人の違いがあることに気づくのだと思う。それは、同じ目的に向かって、 協同作業をし、何かを創り上げるときに体験できるものだと思う。その機会を高校時 代3年間も全く経験できずに終わるのは、マイナスだと思う。 ---  私は女子高卒で、在学中には、皆から意見があったように、より自由な学生生活を 送っていたように感じていました。でも、卒業後大部たってからある高校(共学)の 体育祭をみて非常に驚きました。高校生にもなれば男・女を意識して同じクラスにい てもかえってぎごちなくなると信じていた私は、何のてらいもためらいもなく、手を つないで *とても* 仲良くダンスしたり、肩を組んで競技をしたり、応援をしている 姿に本当に驚きました。そして、皆からもでていたようですが、別学のプラス面の“ 自然にすごせる”というのは間違っていたのではないかと思いました。体育祭の子供 達は本当に自然でした。女子校で長い時間女性だけで考えたり、行動したりするのは 実はとても不自然なのではないでしょうか? 在学中同じように生活する中で変な男 だ女だという意識がなくなるのではないかと思います。  郡山の安積高校の同窓会は最後の最後まで共学に反対していました。先日やっと残 念だが決まってしまった。だから仕方がないというような内容のはがきを同窓会の方 々に送ったようです。はやく平成13年度になって女性のいる自然な高校をみせてやり たい。 ---  マイナスの面については、まずお互いが男性と女性であることを意識しがちである のが共学で、性の意識がある上での男女間の関係では、性による役割を植え付けられ がちである。その一方、別学では性差ではなく個人の能力によって役割分担をするた め、女性、男性というより1人の人間として扱われることが多い。しかし、高校とい う3年間だけで考えるのではなく、中学・高校・大学、そして社会にでてからを考え れば、全く性を意識しないで社会にでてしまうと、どれがジェンダーバイアスなのか の判断を付けにくくなり、バイアスから解放されるにいたらないのではないか。そう 考えると、共学高校の間はバイアスが増えるかも知れないけれど、共学の方がプラス になるのではないかと思われる。 ---  「共学」か「別学」かは、ジェンダーバイアスの点からみて、結局、差はないと思 います。  「共学」であるが故に、異性としての役割を考えて行動してしまう人もいるだろう し、反対に“男も女も関係ない、同じ高校生じゃない”という意識を持つ人もいると 思います。「別学」の場合は、校内にいれば女性同士の気易さからお菓子パクパク、 ブルマーで掃除などという、一人の人間としてどうしたいかを優先している場合は多 いです。でも一方で、男子高校は気になるし、あこがれの男性教師などに出会えたと きには、大多数の女子高生の中でいかにしてより女らしさをアピールしようかと考え たりもするでしょう。  「共学」では意識の面では男女差を無視したいと思いつつ、行動面では男女差が出 て、「別学」では行動面では人間性が出つつ、意識面では男女差の感覚を持ちやすい という事になるのではないかと思います。  どちらかが、よりジェンダーバイアスを持ち易いかは、「共学」「別学」より、む しろ、それ以前の環境(家族構成や地域――都市型か田舎型か)や個人の性格の影響 が大きいと思います。 ---  人生のある時期に、多感な少年、少女期に男子と女子が別々に学校生活を送るとい うのは、当然不自然な流れであるとは思う。16歳から18歳というこの時期にできる友 達は貴重であり(すべての年齢での友達は貴重だが特に)大切にしたい。これからの 時代は当然共学だと思う。  しかし、過去をふり返ってみた時に、高校の3年を同性とのみ学校生活を送るとい うのも別に悪くはないとも思う。社会に出れば否応なしに男女の社会生活になるわけ だし、別学は別学でまたそれも良いかもしれない。福島県での別学問題では、ジェン ダーバイアスの問題よりも、学力によるランキングからくるプライドがOB、OGに とっては気になるところで、本来のジェンダーバイアスという視点から反対している 人というのは一体どれだけいるのだろうかと思う。  教育全般からすれば、別学、共学どちらかにとはっきりするのではなく、別学がよ ければそちらを選ぶ、共学がよければそっちに進むというように、選択肢が多様にあ れば自分のし好にあった学校を選べると思う。そのためには学力別に対応するもっと 多くの学校が必要になるとは思うが……。 ---  基本的に男女が別々に分けられる、ということは、不自然だと思う。  女子校でも進学校は存在するし、能力的な意味での男女差別というのは別学によっ て感じはしないのだが、もともと2つしかない性をわざわざ分離する、ということに 対して、2つの性を、意識する、という意味で差別を感じる。  女子校出身者の意見で、女子校は気楽で良い、という意見があったが、女性の中だ けで自由を感じることに私は疑問である。  本当に自由と感じるのは、男女がまざった世界においてであり、そう感じたときに はじめて男女の性差がなくなったといえるのではないだろうか。  又、女子校で自由と感じるのは、その人が知らず知らずのうちに、女性の役割とい うものを演じており、それが女性のみの世界で解放されたからなのではないか。 ---  私自身、女子校だったのですが、別学のプラス面として思うことは、昔から教育さ れてきた性役割が崩れるということです。例えば、力仕事や、リーダーシップをとる という時は、男性がいないので、自分たちだけでやらなくてはいけない、男性に頼る 必要はないという意識が生まれてくると思います。実際私も高校3年間で、男には負 けたくない、対等でいたいという気持ちが強くなっていました。そして、周りの友達 もそうだったような気がします。学校にもそういう教育をされていたように思いま す。つまり、別学になることで(女子は)強く、きたえられると思いました。  そして、マイナスの面としては、やはり男と女は別の性物であり、考え方や行動が 違います。そんな違う人たちとの接触が学校生活においてないと、社会にでてから、 うまくコミュニケーションがとれなかったりすると思います。それに違う性の人たち が一緒にいることで、考え方もいろいろと刺激をうけ、変わっていくと思います。そ れから、大学に入って感じたことは、共学の人は、すぐに男友達ができたりするけ ど、女子校の人はあまりできないということを感じました。だから、接し方を身につ ける必要があると思います。 ---  今回は別学についてだったが、わたしは共学なので全く事情がわからなかった。学 校は共学であるというのが私のなかで常識だったし、男子校や女子校は遠くの田舎に あるのかなとかなり差別的に思っていた。  別学というのは一つの性しかいないのだから、男女の相互の関わりということを考 えると共学の方がいいと思う。しかし、ある意見では、性分業がなされないからいい というものがあった。例えば、「男が生徒会長で、女が副」ということがなく、性を 考えずに能力が重視されるというのである。なるほどと思ったが、果たしてそれは正 しいのだろうか。  世の中には2つの性がある。これは事実である。学校という、ある種の集団生活の 中で、片方の性としか交流がないのは問題ではないだろうか。子どもにとって、学校 で過ごす時間は1日の半分以上である。そのような生活が最低でも3年はある。以上 のことを考えると、別学よりも共学という考えが生まれてくる。別学には他にもプラ ス面があるとは思うが、マイナス面の大きさをみると、いい評価はできないように思 う。 ---  私は女子校出身ですが、願書を出す時に、共学校に行くべきか女子校にするかとて も迷いました。やはり、小・中学校と同じ共学があるべき姿だと思ったからです。女 子校の3年間は、非常に楽しいものでしたが、最初は、女子だけという環境にとても 戸惑いました。女子校は本当に何でもありという感じなので、学校生活はとても気楽 なものでしたが、他人、特に異性の目を気にしないというのは、とてもおそろしいも ので、共学校では絶対に行われないことも日常茶飯事となってしまい、共学校に通っ ている今でも女子校のくせが抜けず、友人から、おかしいと言われることもしばしば です。 ---  「別学高校」は、ジェンダーバイアスからの解放の観点からすると、マイナスの働 きを生み出していると思う。自分が高校に在籍していた時は、やはり、思春期のどま んなかであり、恥ずかしさや照れなどから女性を意識してわざと遠ざけたり、距離を 保つのが普通であったと思える。男子校は、このような私には非常に居心地が良かっ たが、今思うとあの時期に男女は別々にいることが、普通と思わせてしまうことは、 マイナスでしかないと思いました。 ---  高校時代というのは、思春期で、もっとも多感な時期であるともう。その人格形成 にとても重要な時期に、あえてどちらかの性を遠ざけることはあまりに不自然なこと ではないだろうか。  かくいう私も、三年間の女子校生活で、卒業した18才の時には、同年代の若い男性 をあまりに意識しすぎて、うまく話せなくなってしまった。  私達の人生には、どこまで行っても、男と女の2つ(もしくはその他も)の性がつ いてまわる。共に社会の中で生きていく視点を身につけるのであれば、それは若いう ちに越したことはないし、お互いの性を強く意識する年代の時だからこそ大切なこと ではないかと考える。共に学ぶ、肩を並べて生活することで、“男の方がすぐれてい る”とか“女は料理がうまい”などといった間違っている固定概念は崩されるだろ う。また、男女が互いに切磋琢磨することで、刺激しあい、より向上することができ るのではないかと思う。  お互いを理解しあっていくためには、その間に垣根があっては本質の部分は見えて こないのではないだろうか。どこまでもついてまわるもう一つの性を無視すること は、何よりもジェンダーバイアスにとってマイナスであると考える。 ---  僕は千葉県の出身なのですが、確かに公立の男子校というのは聞いたことがありま せん。にもかかわらず、女子校は多いような気がします。そこで一つ疑問に思うこと があるのですが、形式的には共学であるにもかかわらず、実質的には女子校であると いうケースはどうなるのでしょうか。千葉県にはそのようなケースがいくつかありま す。ちなみに僕の母親の出身校は、母が在学していた大昔は女子校で、その後共学に なったのですが、今日でも入学者は全部女子だそうです。  ジェンダーバイアスの観点から見た場合、一番困るのが普通科の問題でしょうね。 何しろそこにはバイアスらしいバイアスは見つからないと思うからです。唯一あると すれば、男子校は進学校が多いのに対して、女子校はそれほどでもないという点だけ でしょうか。そもそも共学「推進派」と「反対派」の根拠はどこにあるのでしょう?  行政側の立場として男女共同参画が実現されなければならないからでしょうか? 少子化の影響でしょうか? いずれにしろはっきりした根拠がわかりません。「反対 派」もただ伝統を守らなければいけないと思っているだけなのでしょうか。メリッ ト、デメリットを話しあう前に、まずその点がクリアーにならなければいけないので はないでしょか。論点の対立しない論争をする前に。 ---  共学のよい所は、異性の友達ができる、異性への接し方を身につけることができ る、行事とかの時に、にぎやかでもりあがる(別学は別学でまたちがったパワーがあ ると思いますけど)。  別学のよいところは、自分のペースで生活することができる、自然体でいられる、 おだやか、何かを発言してもうけいれてもらえる安心感がある、異性の眼を気にした ケンカもおこらない、わるいところは、異性がいないという安心感からの下品な言 動、それから世間知らずになりやすい、ような気がします。  今、共学化がすすんでるようだけど、私は全てを共学にする必要はないと思う。い ろんな形態(共学、男子校、女子校)の中からえらべるようにした方がいいと思っ た。 ---  私は、別学の出身なのですが、高校時代とても気楽に過ごせた気がする。生徒会の 役員を決める時、女子校であるなら、会長が男で副会長が女というような役割分担を しなくてすむし、女が会長になっても、それは当然なのですごい人というような目で 見られることもないので、そういう点ではいいと思った。  また、女子校だと男の人の目を気にするということがないし、ほぼ女だけの学校 で、女性はこうあらなくてはならない、というようなことを求められることもないの で、男女が共存する世間の目から見ると、女らしさが欠けているという風に写るのか なと思った。 ---  別学のプラスの面は、女性性を特に意識して女らしさを求められないことや、女性 だから「こうあるべき」ということがなかったことに思う。マイナスは男性への幻想 をもち、理想像を描いてしまうことである。  女子校だったが、女性だから女性らしくつつましくとかひかえめにとかいった教育 がなされなかったことが、ジェンダーバイアスからのフリーの点から見ると、今の考 え方や生き方となっていると思う。  共学だったなら、男・女の役割分担が自然とでき、主導権を担う側と従属する側と に分かれてしまったかもしれない。女性だから女性の役割をはたさなければならない という考え方が今の私にほとんどないことも、別学のプラス面である。将来は男性が いなければ生きてはいけない等と男性にこびる性格は全くもっていない。  家庭においても、できる方が家事を行い、楽しいと思いながら生活に必要なことを 分担している。私はジェンダーバイアスからのフリーは自立できることと思ってい る。 ---  私は共学であったが、別学の人の話を聞いて結構びっくりすることが多かった。共学 ではなかなかできないことを意識せずに自由にできるということが、別学においてのあ る意味での利点かなと思った。  私の友人は別学で(女子校)あった。その学校で彼女は積極的に生徒会長や、学祭の 委員長などに取り組んでいたそうだ。今、彼女は自衛隊に入隊して男子隊員に負けじと 仕事をしている。共学だと女子が一歩引いた形になることは、ある意味確かなのかもし れない(もちろん積極的な女子もいるが)。性を意識せずにやってきたことが、社会の 性差別の問題を打ち破るということもあるのだろう。  しかし、共学の私の一個人のイメージなのだが、例えば女子大などになると、彼女た ちがどうしても女性らしさの追求しかしていないように思えて、マイナスのイメージで はないが、男性に将来を頼ることを前提にしか動いていないような気がする。 ---  別学高校はプラスなのかマイナスなのかという問題において、私はその問題に疑問を 感じた。例えば、中学から高校へ進学するにあたり、その進学については自分自身で決 めるのだから、その選択肢として別学、共学のどちらもあっていいのではないでしょう か。共学校にいきたい、別学校にいきたいというのは本人の決めることで、別学をなく すことで、その選択肢はせばめられてしまうのではないでしょうか。  私は、両方の制度において、プラス面もマイナス面もあり、それを理解することが必 要であると思う。人それぞれの考え方で、一つのことが反対の意味をもつものでありま す。私は出身が宮城県ですが、実際、自分にとって別学と共学のどちらが自分を高める ことができるかと考えたときに、共学を選び、自分の能力にあった高校を志願しまし た。はば広い選択の余地があればいいのではないでしょうか。私はそう思います。 ---  僕は男子校出身なので、別学にはいい点も悪い点も両方あると思う。ただ、ジェン ダーバイアスからの解放という点から考えてみると、あまりプラスの面はないのではな いだろうか。男と女を性別によって分けるという時点で、性差というものを強調してし まうことになると思う。たしかに別学は異性の目がないので気楽ではあるが、高校時代 にそういう環境になれてしまうと、卒業後も少しそういう考え方が残ってしまったりす るかもしれない。また、異性が身近に少ないということで、逆に意識してしまうという ことも考えられる。  男子校・女子校というと共学の人からは謎な部分が多いらしく、男子校、女子校に対 してある特定のイメージを持っていることが多い。こういう面も性差というものを強く 印象づけているからだと思う。  ただ、自分の実感だけで考えると、別学は高校3年間だけだったので、そう深く考え るようなものではないのかもしれないと思う部分もある。 ---  自分はずっと共学であり、このような問題は考えたこともなかったが、しかし自分は 別学というのは好きじゃないという思いが多少なりともあった。それは別学だとつまら なそうという考えがあったからだ。共学だとやはり女性との付き合いができるし、別学 にはない楽しさがあるからだ。でも自分は別学には利点があると思う。(女性の場合の み)共学は男女平等ということでつくられたのだが、逆に性差別があると思う。例え ば、生徒会会長はほぼ男子というふうにどこかで男子をたてているような光景があり、 女性はあまりそういうふうに表立った地位についているというのはないと思う。その 点、別学だと当然女性しかいないため、表立った地位にはつくことができる。このこと から自分は女性を表立たせるというか、そういった面を育てるという意味で別学もいい ものではないかと考える。 --- ・プラス面  余計な固定観念を持たずにすむ(「女らしさ」がなくなる、等)ということだろう か? たしかに異性がいなければ性別分業も発生しない。 ・マイナス面  性差の固定観念がなくなる代わりに偏見、等を持つ様になるらしい。実物の行動等を 観察しなければ理解できないのは何も他の生物に限った事では無く、人間についても同 じ事が言えよう。  したがって他者の意見等を聞いた感想として、自分は男女別学はプラスよりマイナス の方が大きいと判断する。 ---  中学まで共学で育ち、高校を卒業すれば社会で男女混合になるのに、なぜ高校だけが 別学なのだろうか。不自然に感じます。  別学で育ったので、なおさら共学のほうが良いと感じてしまいます。  男女不純異性交遊が原因で別学となっているのならば、箱入り娘的なものを、国が育 て、家族の安定の根本的思想を植えつけるような社会化を目指したのでは……。  世の中には、男と女しかいないわけだから分ける必要はなく、別学には反対です。 --- ・一般の社会では、学校のような男女の別が制度として存在する場というのが学校ほど ないので、学校を出て、社会に入っていったときにとまどってしまうという人が出てく るというマイナスの部分が別学にはあると思う。 ・今回プラスの部分として発表されたことは、ジェンダー・バイアスとは直接関係ない と思う。 ---  ジェンダーバイアスを考えると、どうしても女性中心の観点(男に対する批判等)か らしか話が進まないのか疑問に思った。  たとえば、女の子が男を補完する役割を演じなければならないという考え方に、だっ たら男は先頭を切って、リーダーシップを求められているという役割を演じなくちゃな らない場面はどうなの?と疑問に感じた。「男なんだから」という男性固有に求められ るものが、女性からみても、社会からみてもあるように感じられる。(なかば強制的 に。)生まれながらにしてもった差異というものは、男、女とわず人間にはあるものだ が、どういう面に対しても、強いものが弱いものを助けるという場面があると思う。能 力主義からの観点からみた平等というのは、また男と女によって異なるものなのかどう か、疑問に思うが、答えはまだでません。 ---  私は共学だったので別学事情はわからないが、近くに女子校があり、その友達から聞 いた話では女子だけだと非常にだらしなかったり、人間関係がややこしかったりという 事をきいた。偏見かも知れないが、女子の方が性格的に、裏表がありそうで大変そうだ なと思う。でも共学でも同じか。まあ共学のプラスの面でもあり、マイナスの面でもあ るのが女性を常に意識してしまう事ではないだろうか。クラスに女性がいることで、男 性ホルモンは常に活発化し、たくましい男になるのでは。でも意識しすぎると勉強が手 につかなくなってしまうのでほどほどに。高校ともなると少女から女性へと変わってい く時期である。大人の階段を一歩一歩あがっていく女性を見ることが共学のプラス面で ある。 ---  討論の時間が足りなかった。  私は女子高は「女性性を求められない」というプラス面を持っている、と思っている が、しかし、共学の中で「女性性を求められない」ようになるようにするべきと考えて いる。だから、共学化すべきだと考える。ただ、その際、共学にするだけでジェンダー ・フリーになるわけではないので、ジェンダーを固定するような裏カリキュラム(例え ば、班長は男とか……)をもう一度問い直し、教師間での学習や、生徒に対する教育な どが積極的になされるべきだろう。今回、この私の見解より一歩踏み込んだ議論を期待 してきたので残念だった。来週もおじゃましようかな? ---  私は、女子校出身でしたが、カトリックの学校だったので、「女子だけ」というのは あたりまえで、重要なポストである校長先生から教頭先生に至るまですべて女性ばかり でした。女子校のメリットは、男子の目を意識しすぎず、自分を表現できるし、女子が リーダーになれる機会も多かったように思います。  また、不純異性交遊を防ぐという別学化の趣旨については、ほとんど効果がないと思 います。女子校だから、男子校だからこそ合コンがけっこうあって、女子校と男子校同 士のそういった結束みたいなものがあって、逆に、別学の方が付きあっている人が多く みられたような気がします。  私は、共学校と別学校を均等にして自分にあった高校、学校をえらぶようにすればよ いとおもいます。ただ単に女子校・男子校を一つにまとめるよりも、これまで女子・男 子校であった伝統などもうばわれないよう、共学校と別学校の2つを設け、個人の意志 で入学を決定させるべきだとおもいます。皆が皆、男子も女子もわけへだてなく接する ことができるわけではなく、そういうことが苦手な人もいるので、結果的に自分にあっ た方へすすめればいいのでないかとおもいます。 ---  別学がほとんどなかったので、その良さがわからない。共学は、男女がそのへんを歩 いているのとも変わらない比率でいて、すごく自然に思える。別学は男と女をその特性 や印象、性別役割分業をはっきり分け、さらに相互の性別をただむやみに意識させてい るだけのように思う。女子だけの空間も男子だけの空間もただ不自然なだけのような気 がしてならない。男女が共存する中でジェンダー・バイアスと戦うなり解放へ向けての 努力をしていかなければ、別学というカンフル剤では根本の解決にはならない。逆に、 ただ男・女という性差を余計に突出させているだけになってしまうのではないか。それ を象徴しているのが、男子校・女子校への(別学校への)イメージとして存在し、「お 嬢様学校」だの「ぼっちゃん校」だのシンデレラ・コンプレックスだのということにな っているのだろうと感じた。  男がいて女がいてあたり前で、その中で自分の能力を発揮できなければ、男だけの 中、女だけの中という限定付きの能力しか育たない。貴重な経験であるとは思うが、よ いものと思えなかった。 ---  別学は明治時代の名残りにすぎないので、特にこだわる必要はないように思う。  女子校だと、女性が必ず指導的役割を担えるが、それは、女性というわくの中でのこ とで、必ずしも有益とはいえないと思う。  私は、男女が刺激し合って新しい何かが生まれると思っているので、別学は基本的に はマイナスだと思う。 ---  私は女子校を卒業しているが、男女共学の高校へは進学したくなかった。中学時、ク ラスでいじめがあり、男子が女子の1人をいじめる姿を、女の人たち(私をふくめてだ が)男子の目が気になって止めることができなかった。  高校はいじめもなく、確かに「女性らしさ」にはかけてしまうかもしれないが、のび のびと自分の意見がいえたり、生徒会の役も女史ができるなど、男子がいないからでき る経験も多いと思う。マイナスの面は、考えのかたよりがあることだと思う。男子の意 見、女子の意見を互いに聞ければいいと思うが、私はプラスの面が多かったように思え る。 ---  別学高校出身として、やはり共学の方が、社会にでてからもふつうの姿だし、女性だ け、男性だけという独特な世界ですごすよりよいと思う。  別学だと、友達(同性)がたくさんできるし、自分の気持ちも素直に表現できると思 う。また私は合唱部だったが、女性だけなので、女性合唱団のすばらしさが表現でき た。これが共学だったら、男性を差別的に入部することは困難ではないのだろうか。  わるいとことは、別学だと、女性も男性も、異性と接する機会が少なくなり、卒業し たあとも、高校の時と同じように、あまり異性と積極的に接しなくなる傾向がある気が する。  共学かが進むなかで、いろいろな問題はあるかも知れないが、男女間の考え方を理解 していく上でプラスであると考える。 ---  男と女がいて当たり前のことなのだから、高校生という思春期に別学というのは不自 然なことではないのかと思う。異性に対して興味がいちばん増す時なので、隔離(?) されると、必要以上に美化したりする気持ちが生まれてくる。そして近い将来、結婚な どの特定の異性を選び、判断をする遠きにも関係してくるのかも知れないと思う。男だ け、女だけというのは、どこか片手落ちという気がする。別学だと気持ちがゆるみ、遠 慮や恥じらう気持ちも薄れる。小学校・中学校と共学なのだから、高校もそのまま共学 だといいと思う。 ---  女子高校、女子短大と女の園を経験してしまった私ですが、特に「女子校に入りた い!」という思いから入ったのではなく、入るところが女子校であったのが実情といっ た感じである。(ちなみに会津女子高)世の中に男と女がいて、中学までは一緒に学校 生活を送っていたのが、急に女だらけの大所帯にはいって、最初の全校集会は本当に女 しかいなくて驚いた記憶がある。男と女がいて当然なのが、いない状況、特に思春期真 っ盛りの異性に対して興味ある時期に隔離(!?)されると、異性を意識しすぎてしま い、それは不自然であった。女子校に男子生徒が何らかの用で校門をくぐる姿を見つけ たら、まるで獲物をとらえるがごとく、「ちょっとー! 男きてる!」と窓にはぎっし りとつめよる女たち……。寒いときにはスカートの下にトレーナーのズボン、カーラー をつけたまま歩いたり、早弁をしたりと、きっと共学では見られない光景だったことで しょう。しかし、女同士、本音でぶつかり、友情を築けたことは、かけがえのないもの となりました。今、共学が増え、偏差値も上がる、というのをきくけれど、別学ならで はの催しも消えてしまうと思うと一抹の寂しさをおぼえます。男、女がいて、どのよう にすればよりよく過ごせるのか、を考えていくことが、今の世の中なのでしょうか。互 いの良い面がひきのばせるような社会を作っていかなければ、と考えます。