現代文化論2000・7月17日

II 現代文化の諸相

(1)「地域文化」とその担い手/1. 「地域文化」の概念


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【今回やったこと】

○地域文化の担い手たち ――映画文化の「伝導」者

・ゲストスピーカー(久我和巳)紹介
 行政社会学部助教授。
 総合科目「映画の世界」のコーディネータ。
 「福島フォーラムの存続・発展を支援する会」メンバー。

・「マイカル」vs「フォーラム」という軸
 前者は稼げる映画を最新の上映施設で提供するというタイプ。ある程度中央の作品供給と直結、サービス内容で受容者に還元。
 後者は、稼げる映画で稼ぎつつ、ユーザーの声を取り入れたプログラムも提供するというタイプ。作品の選定にあたっては地域の映画愛好家(コミュニティのオピニオンリーダー層)の意見が採り入れられている。
 福島に他にどういう映画上映グループがあるかは詳しくは不明だが、地域の映画館と地域の映画受容者層(リーダー層)の連携で地域独自の映画文化形成が試みられているといえる。

・岡山の事例(伊奈の調査による)
 地方都市岡山にはいくつかの映画上映の流れがある。
(1)ミニシアター
(2)インディペンデント・シーン
(3)アンダーグラウンド・シーン
(4)「地方の地方」

 ※このうち、(1)(2)について概要を紹介。

・まとめ
 「地域文化」の担い手について、映画文化を通じて見てきた。各地方によって映画文化のあり方は多様だし、調べていくことでその地方の独自性が見えてくるだろう。
 その中で一つ重要な動きは、「地方」が「中央」を志向するのではなくて、「地方」と「地方」とのつながりを作っていく動きである。東京や諸外国もまた一つの「地方」だという認識がそこにはある。もちろん、東京は日本の「中央」として、情報と金と力が集まった「地方」である。しかし、「地方」を捨てて「中央」(や外国)に行くことが成功なのではなく、「中央」をうまく使いながら「地方」で生きることが重要なのではないか。そういった志向性を多くの担い手たちが持ったときに、「地域文化」は「中央の文化」のミニチュア版ではなくなるだろう。


【感想から】 (※印は高橋のコメントです。)

・久我先生の映画の見方は私が読んだ池波正太郎の映画評論と同じであったと思う。
 私に映画の知識を教えてくれたのは池波正太郎であり、浜村淳さんである。

・映画……あまり見にいきません。

・フォーラムを応援している集まりがあることは知っていたけれど、その活動についてはよく知らなかった。フォーラムはマイカルに比べて何となく暗いイメージがあったけれど、地域と深くかかわっていて良い映画館だなと思った。次に映画を観るときは久しぶりにフォーラムへ行きたい。

・地域の「独自性」をつきつめてしまえば「個別性」に到達する。マスに向けてではないいわばアートとしての映画はヴィデオとして個々人の家で観られてしまうのではないだろうか? アートは最大公約数ではない。家に大型のテレビと音響を設けてしまえばフォーラムのような映画館は消滅してしまうのではないか?
 映画の本誌は「映画好きの仲間」との感動の共有だろうか? そんなわけではあるまい。映画館において我々はスクリーンと相対するだけで「仲間」なんぞはどうでもいいのである。
 ※二つ目は「あなたの」感じ方かな。「映画を観る」という行為が、個人がスクリーンと相対するだけじゃないってことは、よくデートのために「映画館で映画を観る」ということが活用されることでもわかると思うんだけど。ぜひこれは実証してほしいと思います。

・映画の話がきけておもしろかった。フォーラムでは大作以外の映画もやってくれるので、私はフォーラム派です。

・久我さんは本当に映画が好きなんだろうと思った。

・人口30万以下なのにプリントが2つもくるなんてよっぽど福島の運動はすごかったんだなーと思う。でもそういう事が可能なのは福島だけだろうと思う。

・フォーラムにはフォーラムの、マイカルにはマイカルのよさがあるので、そのかた方の悪さばかりを見ずに、その長所も見るべきだ。
 ※久我さんがちゃんと説明していました。ちゃんと聴いてましょう。

・久我さんの話しぶりに、本当に映画を好きだという気持ちがにじみ出ていて、話の内容以前にその点で感動した。私も、見たい映画がマイナーで東京での単館上映のため見られないことがあったので、大手のメジャーな映画ばかりを放映する映画館にはあまりいい気がしない。「地域」とは関係ない感情ですが……。

・映画の話、なかなか面白かったです。地元人というせいもあって、高校時代、フォーラム存続が問題になったのを思い出しました。岡山の事例も含めて、映画ってとても奥が深いです。

・実際に「フォーラム」とVIVRE 5Fの「ワーナー・マイカル・シネマズ」で映画をみてきました。初めて「フォーラム」を見たとき、想像より小さな映画館で、「ワーナー…」と比べて、本当につぶれちゃいそうな気がした。でも、“映画を観る場”としては、絶対「フォーラム」の方が最高です。本当に映画鑑賞の場としてすばらしい環境だと思った。「フォーラム」はつぶれないでいてほしいです。

・私は映画を見るならビブレだと思っています。私は広くてキレイなところで見たいので。

・フォーラムにそんな苦労があったとは知らなかった。自分もフォーラムに行きたかったんだけど、場所がわからなかったので今までいけなかった。でも今はわかるので、今度見る時にはフォーラムで。

・アジア映画など、小さな、有名じゃない映画に興味があるので、どんどん企画してやってほしい。

・久我先生の話はとてもおもしろかったです。

・映画は、「スタンド・バイ・ミー」が一番だと思います。先生は何が一番いい映画だと思いますか?

・今日の講義は良かった。フォーラムの経営のしかたがわかり、なんとなくフォーラムの方がマイカルより私が好きだった理由がわかった。

・フォーラムの実体を初めて知ったが、ああいった地域密着型の映画館は必要だと思う。

・久我先生のお話、とても興味深かったのですが、途中で寝てしまいました。すみません。地元の小さい映画館がつぶれてしまったのは生き残ろうとフォーラムのような活動をしなかったからではないかという気がしてきた、

・今回の映画文化の話は楽しみにしていたが、予測以上に良かったと思う。これは「現代文化論」の授業だが、「映画の世界・映画と世界」のレポートの参考になって助かった。

・映画のレポートを書いたのには、こういう意味があったのか?と思った。でも、福島でも郡山でも同じ様なことがあるんだと思った。(郡山は駅から遠い方がつぶれた。)

・同性愛であることをカミング・アウトした監督による映画と、“ピンク映画”等をいっしょくたにして“色物”というのは、どういう考え方で言ったのですか。カミング・アウトした監督による映画が、“ピンク映画”であるならば、それはよいですが、同性愛にまつわることを“色物”ととらえるならば、異性愛が描かれた映画も“色物”であるはずですね。同性愛、とくにレズビアンがアダルトビデオの範疇の存在ととらえられてきたことをふまえるならば、安易に同性愛者の映画と(どんな映画かはわかりませんが)ピンク映画を同列において欲しくないです。
 ※これは失礼、「一般には“色物”ととらえられて敬遠されがちな映画」という意味での「“色物”とされてしまうような映画」を上映する試みが岡山ではなされている、とお話ししました。ぱっと一度耳にしただけでは、そのあたりが誤解されやすい表現だったかも知れませんね。(もっとも、気を配って言葉に気をつけてしゃべっても、誤解する人はいくらでもしてくれますが。しくしく。)
 わたし個人としては、ピンク映画というジャンルの映画にもいろいろあるので、ピンク映画だからという色眼鏡では見たくないということもあります。今度のお茶大の「フェミニズムと現代思想研究会」の素材は(というか、このところちょくちょく)「ピンク映画」のカテゴリーで作られた作品だったりします。監督の女性を招いてのお話もあります。

・英語の先生がでてきてびっくりした。フォーラムは好きだが、単館系映画を見に行ったとき、マニアックな男の人がいて怖かった。


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